「五山文学」の最高峰とされた建仁寺塔頭寺院・建仁寺霊源院
2019年02月12日
霊源院は、「五山文学」の最高峰とされた建仁寺塔頭寺院です。応永年間(1394年〜1428)、龍山徳見和尚を勧請開山として、その弟子である一庵一麟によって「霊泉院」を創建されました。慶長年間(1596〜1615)室町幕府の重臣だった柳沢元政が復興し、かつて院内に建立されていた「霊源軒」の名前に因んで「霊源院」と改号しました。
明治の廃仏毀釈の流れの中で、明治5(1872)年、妙喜庵跡地に「霊源院」を移転しました。
南北朝時代の肖像彫刻の傑作の一つ「中巌円月坐像」(重文)は玉眼を嵌めた表情が見事な高僧の木像で、その胎内仏であった「毘沙門天立像」は、鎌倉時代に運慶の息子・湛慶が手がけた木像で、左手に掲げた水晶の中に、伝教大師最澄が持ち帰ったという仏舎利が納められています。
霊源院で出家した戦国大名・今川義元筆の書状、織田信長筆書状、義元と太原雪斎の師となる常庵龍崇筆偈頌、千利休筆書状、細川幽斎筆書状、狩野山楽筆「布袋像」、足利義勝筆達磨図などを所蔵しています。
「第53回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で拝観することが出来ました。
※第53回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開
日時 平成31年1月10日(木)~3月18日(月)
10:00~16:30(16:00受付終了)
拝観料 600円
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H31.1.19
住所: 京都府京都市東山区小松町594