森野旧薬園(宇陀市・旧大宇陀町)
国の史跡に指定されている森野旧薬園
2019年04月09日
森野家の祖先は、吉野南朝に仕えたと伝えられ、大和国吉野郡下市に居住していました。
初代兵部為定(?~1568)が、農業の傍ら葛粉の製造を始め、「吉野葛」の名称が生まれ、世に知られるようになったのが森野吉野葛本舗の始まりです。およそ450年前のことです。その後、数代を経て元和2(1616)年に、葛晒しに不可欠なより良質の水と寒冷な気候を求めて、現在の地「大宇陀」に移住しました。
代々葛粉の製造を継承する中で、当主第11代森野通貞(通称藤助、号實郭)は若い頃より薬草木を愛好し、屋敷内にこれを栽培、または研究をしていました。これが当時の幕府にも聞こえ、幕府採薬使・植村左平次とともに、近畿一円、美濃、北陸地方の山野からも薬草を採取し、それらを幕府に献上しました。またその報酬として幕府から貴重な中国産の薬草が下付され、享保14(1729)年、当時では唯一の私園としての森野薬園を開設し、8代将軍徳川吉宗の国内産で漢方薬を普及させるという国策に貢献しました。
その後吉野葛、薬草に加え、現在も当薬園で自生するカタクリ(3月下旬〜4月上旬)の根を精製した「かたくり粉」などの製造にも手掛け、幕府に献上しています。
明治以降、日本に新薬が入るなどして、国内の官園、薬園が次々と廃園になる中で、江戸時代の面影をそのまま残している希少な薬園ということから、大正15(1926)年2月24日は国の史跡名勝保存法により、史跡に指定されました。
昭和26(1951)年には昭和天皇の当工場、また薬園への御臨幸、ご視察を賜りました。
これを記念し、当社製吉野本葛を「みゆき」(御幸)と命名しています。
薬園を成す山の麓にある吉野葛の晒し工場ではこの山からも地下水を引き、薬草の生育に欠かせない清らかな水を葛の精製にも使用しています。平成16(2004)年からは西山工場での製造を始め、薬園共々、日本の伝統文化の維持継続に努め、現在に至っています。
(森野旧薬園の栞より)
開園時間 9:00~17:00(入園は16:30まで)
入場料 一般300円 中学生以下無料
Photo EOS 5D MarkⅣ
H31.4.6
住所: 奈良県宇陀市大宇陀上新1880
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