旧来住家住宅(西脇市)
来住梅吉の私邸として建てられた旧来住家住宅
2019年12月16日

旧来住家住宅は、播州織のまちとして知られる兵庫県西脇市にあります。
大正時代、地域の名士である来住梅吉の私邸として建てられました。来住家は糸商や土地収入で代々栄えてきた旧家です。
なかでも梅吉は、地域の発展のために一身を捧げた人物として知られています。
西脇商業銀行を創設したほか、西脇区長、西脇町議会議長などの公職を歴任、困窮者の子息への学資援助など社会奉仕も盛んに行いました。
梅吉は、明治24(1891)年に分家である来任萬吉の四男として生まれ、大正2(1913)年に本家、来住弁吉の娘きくえと結婚して婿養子となりました。
ちょうどその頃、義父の弁吉は、邸宅の新築を計画し、明治42(1909)年頃から用材の調達を進めていました。
梅吉が婿養子に入った同年に、離れと客湯殿が竣工。しかし、その翌年に弁吾が死去したため、梅吉は母屋の建築を受け継いで大正4(1915)年に棟上、大正7(1918)年に完成させました。
梅吉の趣味は幅広く、煎茶、抹茶、華道、謡曲、盆栽、骨董、懸崖菊、狩猟にまで及びました。 芸術への造詣も深く、後に日本画壇の重鎮となる橋本関雪を庇護します。
大正2(1915)年から4年にかけて、関雪を離れに逗留させ、当家で絵の頒布会も開いたと伝わります。
後の首相となる犬養毅氏が宿泊したのは昭和3年のこと。彼は漢詩四幅を残し、うち一幅は現在、西脇市に寄贈されています。
昭和15(1940)年には、当時陸軍大将だった朝香宮鳩彦王も宿泊されています。
鳩彦王は、明治39(1906)年に創設された日本の宮家のひとつ朝香宮家の創始者で、弟は陸軍大将や第43代内閣総理大臣などを歴任した東久溝宮稔彦王です。
旧来住家住宅は、客人へのもてなしの心が随所に表れた邸宅です。
芸術家による絵画や彫刻、茶人よる庭園、大工による見事な細工にも、梅吉の感性や審美眼を見て取ることができます
母屋は、中央に廊下をはさんだ南北2列の間取りで、南列3部屋が接客用、北列3部屋及び2階が家族用の空間になっています。東端には裏門へ通り抜けできる土間があり、その一角に台所や家族用の風呂が設置されています。母屋の西南には庭園が配され、庭を囲むように離れと客湯殿が佇みます。
当家には、大正4(1915)年〜大正6(1917)年の建築費用控帳や用材説明書が現存し、建築費用について詳細な記録が残されています。母屋、離れ、庭園の建築費用は8万8,053円にのぼり、現在の価格(米価比較)では約2億4,000万円に相当します。今では入手、再現の困難な高級用材、高度な技術が随所に用いられているのも特徴です。
この貴重な屋敷が平成13(2001)年、文化財の保存とまちづくりへの活用の思いから西脇市へ寄付されました。翌年2月に国の登録有形文化財に登録され、翌々年の平成15(2003)年5月1日より一般公開されています。観光はもちろん、まちづくりの拠点施設として人々の憩いの場となっています。
開館時間 10:00〜18:00(10月〜3月は17:00まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日)、お盆、年末年始
入館料 無料
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R1.12.1
住所: 兵庫県西脇市西脇394−1
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