金刀比羅神社(浜田市)
日本遺産「外ノ浦」にある金刀比羅神社
2020年08月06日
金刀比羅神社は、正徳元(1711)年松原浦心覚院二世隆禅和尚により外ノ浦に一庵を創建して松尾山と号し、海上安全を祈願したのが起源とされています。
享保3(1718)年隆禅和尚の霊夢により四国讃岐象頭山金刀比羅権現を勧請し、これを奉祀してより金刀比羅権現堂としました。
明治の神仏分離令により現在の金刀比羅神社となりました。
神社前の丘陵には、歴代上人の数基の墓碑が往時を偲ばせています。明治38(1905)年頃の失火で拝殿とともに寄進された多くの奉納物が惜しくも焼失しました。
現在の拝殿は、翌年信者の寄進により名工とうたわれた波子の宮大工藤川長吉により建立されましたが特に心魂を尽くした龍の彫刻は彼の傑作の一つといわれています。
拝殿には明治40(1907)年6月東宮殿下(大正天皇)浜田に行啓のみぎりに従武官であった東郷平八郎大将(元帥)の寄進による筆跡を保存しています。
外ノ浦の波み静かなるけふの日は
幾千代までも寿ぎにけり
外ノ浦は天恵の良港と風光明媚なたたずまいに加え、自然が織りなす入江は希有にして得がたい情景で山陰十景の一つに数えられています。大正末期頃まで物資の交易に諸国諸藩の交易船が、中でも北前船など多くの船が寄港していました。
浜田市外ノ浦(とのうら)の町並みや関連文化財は「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」として平成30(2018)年5月24日、日本遺産に追加認定されました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R2.7.23
住所: 島根県浜田市外ノ浦町586番
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