岩戸寺(丹波市・旧市島町)
明智光秀の丹波攻めで焼失・岩戸寺
2020年09月04日
岩戸寺は山号は明燈山、高野山真言宗の寺院です。氷上郡観音札所 第3番霊場、丹波西国33ヶ所 第9番霊場、氷上郡88ヶ所 第55番霊場です。
奈良時代の宝亀2(771)年に法道仙人により開基されました。本尊である十一面千手千眼観世音菩薩は、法道仙人による一刀三礼の作と伝わります。
天正2(1574)年に明智光秀の丹波攻めにあい、一山灰燼と化しましたが、仁王堂は兵火を免れました。この時、本尊千手観世音菩薩は明燈山の岩下に飛んで火難を逃れたという説があります。
天正16(1588)年に朝倉市の一族源宥(快祐)上人が再興し一宇を結んで千手院と号しました。後に総持院が建立され総持院は明治の初期に移転され鴨庄小学校の前身となり、千手院が現在の岩戸寺の庫裏の元となった。
石段は江戸時代前半の享保15(1730)年に造立され観音堂は寛文11(1671)年に建立、寛政7(1795)年に再建され仁王堂は天明元(1781)年に再建されました。中興十五代宥憲上人の時に明燈山の不動の滝から流れ出る清水が目の秘薬と言われ、多くの参拝客でにぎわったと伝わります。
第18世大僧正実憲は昭和12(1937)年に奈良の生駒山より聖天尊の分身を勧請して、聖天堂を建てました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
R2.8.14
住所: 兵庫県丹波市市島町岩戸525
関連リンク
タグ
地図
関連情報