留堀城(丹波市・旧市島町)
留堀城(とんぼりじょう)は、建武3(1336)年赤松筑前守貞範が春日部庄の領主となり黒井城を本拠とし、その支城としてここに砦を置いたのが始まりです。
時が移り、荻野氏が興り丹波、但馬に勢力を伸ばしました。黒井城を再構築し、この留堀も城としての守りを強化しました。
本丸を堅固な土塁、竪堀で囲み、さらに二の丸、三の丸と砦を構えました。
荻野秋清はここを下館として、憩いの場ともしていました。
天文23(1555)年1月2日、甥の荻野悪右衛門は秋清を刺殺して城主となり丹波の赤鬼と恐れられるほどの豪勇の武将となりました。
留堀城代家老に山川舞左衛門を置きました。
天正7(1579)年8月9日、明智光秀の重なる丹波攻めで黒井城は炎上し、赤井勢は敗れて四散しました。この留堀城も善戦空しく敗戦となりました。
明智光秀の家老斎藤利三がしばらく管理しましたが、光秀の謀反で留堀城も廃城となりました。
築城の頃、黒井城の外郭を守る帳(とばり)としていくつかの砦が置かれました。とばりがいつかとぼり、とんぼり、留堀城となったと想像されます。また元々は酒梨城といった頃もあります。溜堀として、戦いの時水を溜めたという説もありましたが、これは水深、水量、地形からみても至難のことで、戦国の城づくりは山城が主で、堀は竪堀でした。
現在は美和地区の自治会、文化活動の場として、美和地区交流センターとして地区民の拠り所として親しまれています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
R2.8.14
住所: 兵庫県丹波市市島町酒梨153
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