志方城〔観音寺城〕(加古川市)
黒田官兵衛の妻の実家櫛橋氏の居城・志方城
2006年05月14日
志方城は、市易城とも呼ばれています。
明応元(1492)年櫛橋則伊によって築かれました。
櫛橋家は藤原氏の末裔で伊朝を元祖とし代々赤松氏の家臣でした。伊朝より5代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ祖父の例にならって播備作3国の財産出納の役をつとめ文明13(1481)年、志方・天神山に城を築き、明応元年(1492)この地に志方城を築きました。以来伊家、伊定と父子3代80年間続きましたが、天正6(1578)年、志方城主櫛橋伊定の時に三木城主別所長治に従ったため、天正7(1579)年8月10日羽柴秀吉によって攻められ落城しました。伊定の娘、光(てる/幸圓・こうえん)は秀吉の軍師として活躍した黒田官兵衛の妻となり、結婚した翌年に嫡男が生まれました。後の福岡藩主・黒田長政です。
伊定の娘は小寺氏の家老黒田官兵衛孝高に嫁いで長政を生んでいたため、櫛橋氏は黒田氏の家臣となりました。
現在の観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校所在のあたり)西の丸(旧志方町役場所在のあたり)とかなりの規模の城だったそうです。
観音寺の門に入り、右手に城跡を示す案内板があります。
観音寺は、曹洞宗の寺院で、本尊は観世音菩薩です。
現在の観音寺は、志方城落城の後、天正15(1587)年、宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守るために城の本丸跡に禅寺を建立したのが始まりです。
本堂裏の墓所に、櫛橋家の累代の墓所があります。
(現地説明板などより)
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の第4話「新しき門出」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
H18.5.14
Photo SONY NEX-7(写真差し替え)
H26.3.21
住所: 兵庫県加古川市志方町志方町720
関連リンク
タグ
地図
関連情報