神功皇后、仲哀天皇、応神天皇を破磐三神として祀り須佐之男命を合祀・破磐神社
2021年03月21日
破磐神社の祭神は、息長帯日売命(神功皇后)、帯中日子命(たらしなかつひこのみこと、14代仲哀天皇)、品陀和気命(ほむだわけのみこと、15代応神天皇)、明治40(1907)年に合祀された須佐之男命です。
息長帯日売命(神功皇后)が三韓を討征し凱旋された時、忍熊王(おしくまのみこ)の難があったので船を妻鹿の湊(姫路市白浜町)に寄せられ、三野の荘・麻生山(あそうさん、172m、播磨小富士山)で天神地祇に朝敵退治を祈られたところ、大己貴命の神託により一夜のうちに麻が生じ、その麻を弦として三本の矢を試射されました。第一の矢は印南郡的形(まとがた)に虚矢となって落ち、第二の矢は飾磨郡安室辻井に、第三の矢は太市郷西脇山中の大磐石に当たって磐を三つに割られました。
神功皇后はこれを吉兆としてこの地に矢を祀られ、後に仲哀天皇・応神天皇の二柱を崇め奉り破磐三神として奉りました。
この磐は現在の神社の西南1.7kmの地にあって現在宮ヶ谷(みやがだに)と呼ばれています。大磐石は高さ6.5m、巾5.5m~6m、奥行き7.5mある。この山地は狭隘で祭事に煩があるので、当社は17世紀に現在地に遷座しました。
神仏混淆の時代には三所大権現と称しましたが、明治の神仏分離令の布告により、破磐神社に復しました。
明治40(1907)年に建速神社(須佐之男命)を合祀ししました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.2.13
住所: 兵庫県姫路市西脇1598