松倉豊後守重政之碑(五條市)
大和五條の二見城主・松倉豊後守重政之碑
2021年03月24日
松倉家は代々、郡山筒井家の家老の家柄でした。
筒井順慶の養子定次に仕えた松倉豊後守重政は、慶長5(1600)年関ヶ原の戦いに27歳で出陣し、武勳をあげ、慶長13(1608)年7月、徳川家康の命により一万石余の大名として、大和五條の二見城に入城しました。
松倉重政は、入部直ちに城下の整備に取りかかり、諸役免除の特権を与えて、近郷近在より百件に近い商家を集め、二見村と五條村を結ぶ伊勢街道の両側に新しい町「新町」を創設しました。
新町は街道両側に間口ほぼ六間、奥に深い町屋が整然と並び、菜種油、薬種、米雑穀、綿諸糸、呉服、葉物、酒造、質屋、三商売(古手古鉄古道具)、諸品仲買とのさまざまな渡世、商いが軒を連ねた、重政が整備した新町は、二見村、五條村、須惠村とともに近世商人が活躍する繁華な町として発展し、町民自治の伝統がこの新町で育まれました。
元和元(1615)年大坂夏の陣で、大坂勢の郡山城攻撃の知らせを受けた重政は、4月27日、70騎を従え、二見城より勇躍郡山に駆けつけ、大坂勢を撃退した、夏の陣最初の武功に喜んだ家康は、重政に黄金を下
賜しました、翌、元和2(1616)年7月、重政43歳の時、幕府の命により、肥前国有馬日之江(島原)に4万30石の大名として転封されました。
松倉豊後守重政が五條を領したのは僅か8年でしたが、その間に新町を創設し、商業と宿場の町、交通の要衝としての五條発展の基礎を築きました。
重政は武勇の誉れ高く、さらに町造りや城造りにも優れた才能を示しました。後に要害堅固の島原城を築城しています。
大和五條に重要な足跡を残した松倉重正が、二見城に入城して400年目の平成20(2008)年に五條市民の篤い感謝の意をこめて、ここに顕彰碑を建てるものです。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.2.27
住所: 奈良県五條市新町1丁目
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