平岩城〔明大寺古屋敷〕(岡崎市)
東岡崎駅周辺にあった平岩城跡〔明大寺古屋敷跡〕
2021年07月28日
徳川家康を輩出した松平氏が岡崎に進出する以前の城主は西郷氏であり、明大寺周辺を基盤としていました。
その本拠地が平岩城です。15世紀中頃に西郷頼嗣は松平氏に対抗するための砦として、はじめて岡崎城を築いたとされていますが、本拠地は明大寺の「平岩城」のまま変わりませんでした。
16世紀前半に松平清康(家康の祖父)は明大寺の西郷氏を攻略すると、岡崎城を大改修して本拠地とします。これ以降、徐々に明大寺周辺の都市機能は岡崎城周辺へと移転していきます。
天正18(1590)年に岡崎城主となった田中吉政が城下町を整備して、東海道を岡崎城下に引き入れたことで、それまで明大寺周辺にあった宿場や流通の機能は失われました。
東岡崎駅周辺地区整備事業に伴い、乙川河川緑地を含む範囲の発掘調査が平成25(2013)年から平成28(2016)年に行われました。
発掘調査では建物跡や溝跡、井戸跡などが多く見つかり、古代から中世までの集落遺跡であったことがわかりました。中世段階には大型の溝跡や建物跡が規則的に配置されていることなどから屋敷跡であったことが推測されます。近世の遺跡の痕跡がほとんど認められないことから、岡崎城周辺に都市機能が移行するにつれて衰退していった状況がわかりました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.7.10
住所: 愛知県岡崎市上明大寺町2丁目
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