丹生神社(世羅町・旧甲山町)
向かって左側に丹生明神、右側の社殿に高野明神が祀られ、当地では両社をあわせて「丹生神社」と称しています。この二柱の祭神は、密教の根本道場を求めていた弘法大師空海を高野山の地へ導いたとされる神で、丹生明神が母、高野明神が子です。
高野山では丹生神社と称されていますが、高野山とつながりのある土地に設けられることが多いです。祭神はこの他に天照皇大神大国主之神、須佐之男神、事代主之神、宇気母智神の五柱があります。
神社に伝わる伝承と「今高野山略縁起」によると、弘仁13(822)年に弘法大師空海が諸国修行の途中、当地備後国世羅郡へ来られた際、丹生明神高野明神から神託をうけて、当神社と今高野山の寺々を建立したといいます。
両明神から神託を受けた場所として、参道半ばにある栗島神社前の「影向岩」(影光岩)と呼ばれる岩があり、この岩の上に立って現れた丹生・高野両明神から、空海は寺社建立の神託をうけたといいます。
また空海は、神託をうけた後、古城山(宝珠山)に登り、山頂の大岩「魁岩」(甲岩)の上に光り輝く一寸二分(約4cm)の観音像を発見と同時に、今高野山の鎮守社(守護神)として、丹生神社が設けられたことが当社の始まりとされています。
現在今高野山龍華寺の本尊として祀られている栴檀製の重要文化財(国)「木造十一面観音立像」(伝弘法大師空海作)は、この観音像をもとにして彫られたといわれています。
実際には、世羅郡の東部一帯が高野山領大田庄となったとき、当社は政所寺院である今高野山の鎮守社として、高野山(紀州)から勧請されたものと推定されています。
ご神体として、丹生明神と高野明神を斜った神像が二軀あります。いずれも重要文化財(国)の指定を受けている鎌倉時代の作品で「木造丹生明神坐像」(女神像)、「木造高野明神坐像」(男神像)〔平成30(2018)年10月31日指定〕が祀られています。 現在においては、神仏分離令発令後、大字甲山の氏神社です。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.11.6
住所: 広島県世羅郡世羅町甲山151
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