大矢田神社(美濃市)
美しい紅葉の自然林は国指定天然記念物であるとともに、「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれている大矢田神
2021年12月05日

大矢田神社は孝霊天皇の御代の創祀で、元正天皇の養老2(712)年、釈泰澄大師が当社に参篭して篤く尊仰し天王山一山を開基しました。
広大な堂塔伽藍を建立して天王山禅定寺と称して頗る盛観をきわめました。七堂伽藍は、極楽坊、当泉坊、岩蔵坊、宝積坊、本地堂、薬師堂、宝堂、鐘楼堂、護摩堂等にて、社頭は牛頭天王社と称して、聖人達は「お天王さま」の名で親しみ、遠近の人から篤く尊仰されていました。
聖武天皇の御宇、天平7(735)年疫病が流行し、当社に勅命を下されて祈願されました。この時、勅使下向して、「下馬札」を賜り、現在尚大切に保管されています。
その後社領七千石となり、応永年間には将軍家臣村上若狭守源氏重は当社を篤く尊信して武運祈願のために、大般若経を書写して奉納しました。現在も美濃市重要文化財として保存されています。
後奈良天皇の弘治2(1556)年、兵乱が起こり一山残らず焼失しました。その後、永禄2(1559)年仮の本殿・拝殿が建立され、その後長き年月に亘って、社殿・仏堂等を再建し、霊元天皇の寛文12(1672)年8月、釈迦堂跡に現在の本殿が再建されました。総欅造極彩色、流造檜皮葺正面千鳥破風唐破風付きの建物で、平成元(1989)年5月には国の重要文化財に指定されました。
境内は古来、「やまもみじの樹林」を以ってその名が高く、昭和5(1930)年11月には文部省の天然記念物の指定を受けています。
享保8(1723)年の記録では、東山天皇の元禄年中に尾張藩老中玉置市正が、当社に参拝し、紅葉の美麗なる枝を折って、尾張藩主に献上されました以降尾張藩の当社への崇敬さらに篤く、寛文の本殿再建にあたっては、本殿唐破風の正面ならびに392本の垂木の端には葵紋章を符する事を許されています。
当社には一社伝来の古式の「ヒンココ祭」があり、500年の伝統を以って盛んに伝承されてきました。そのお囃子は「日の御子天皇様・御皇室の弥栄えを祈る」氏子の切なる祈りの心を歌った「ヒンココ・チャイココ・チャイチャイ・ホーイ」です。
しかし、弘治年間の一山焼失後は、次第に衰微しており、遂に極楽坊と当泉坊の二坊が残って明治維新を迎えました。
明治元(1868)年、神仏分離令により、仏堂等を悉く廃して、旧牛頭天王社を大矢田神社と改称し、明治6(1873)年美濃国第八大臣第九小区の郷社に列せられました。
昭和21(1946)年10月5日宗教法人令による宗教法人となり、昭和27(1952)年1月16日宗教法人表山天神社華堂神社及び青柳神社を合併し、昭和27(1952)年12月15日には、宗教法人法により宗教法人大矢田神社を設立しました。
摂社青柳神社は美濃市大矢田1039番地の1にあって、御祭神は大巳貴命を祀り、摂社表山天神社は美濃市大矢田1260番地の1の表山にあって、御祭神天若日子命を祀り、摂社華堂神社は美濃市大矢田2597番地の1にあって、櫛荷田姫命を祀り、共に本社御祭神緑の神です。
境内の楓谷にはヤマモミジなど約3000本のモミジの木があり、神社本殿への登り口の石段から社殿東側一帯の谷川沿いの美しい自然林は国指定天然記念物であるとともに、「飛騨・美濃紅葉33選」にも選ばれています
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.11.13
住所: 岐阜県美濃市大矢田2596
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