にし茶屋街(金沢市)
金沢三大茶屋街の一つ・にし茶屋街
2021年12月19日
にし茶屋街は、金沢三大茶屋街(ひがし茶屋街、主計町茶屋街)の一つに数えられるとされています。
藩政期、金沢城下への入口にあたる北国街道の犀川、浅野川両大橋界隈には、お茶屋が建ち並んでいました。
加賀藩12代藩主前田斉広は、文政3(1820)年金沢町奉行山崎頼母らの口添えにより、公許を与えて妓楼を区域を限定して集め、石坂茶屋町が出来上がり営業が開始され、この「にし」は、浅野川外の「ひがし」と共に賑わいを見せていました。
しかし、天保2(1831)年には茶屋制度が廃止され、さらに慶応3(1867)年9月に再び公許されるなど、幾多の変遷を辿りながら、百有余年の歴史と伝統の面影を今に伝えています。
茶屋街は上町(現在地)と下町に分かれ、上町は金沢での紳士の社交場としての役割を果たし、数多くの名妓を生んでその伝統と格式は現在でも受け継がれています。通りに面して一階に出格子を設け、座敷を備える背の高い二階を吹放しの縁側とする、藩政期以来のお茶屋の伝統的な町並みが大火以降も踏襲されて現在まで残っています。
茶屋街の入口にはかつて大門があり番所が置かれて茶屋街の象徴でもあったが今はありません。
茶屋街の建造物の特徴は、格子作りと掛行灯ですが、特に金沢の格子は桟が細くて間隔が狭いのが京都の島原や江戸の吉原と異なる点で以前は紅殻の漆で塗られていました。
今も夕暮れ時には芸妓衆が行き交い、どこからともなく笛や三弦の音が聞こえる風情あふれる茶屋町です。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R3.11.21
住所: 石川県金沢市野町2丁目
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