田部家土蔵群(雲南市・旧吉田村)
国内有数の山林地主田部家の土蔵群
2022年02月20日
吉田川沿いに開けた山里は、鉄とともに発展してきました。田部家の企業城下町とも称される。中心部に田部家があり、山側には寺が点在。その北に生産拠点、菅谷たたらが位置しています。かつては川を挟んだ向こうに、鉄を加工する大鍛治場や職人の長屋などがありました。町が標榜するとおり、まさに「鉄の歴史村」です。石畳を敷いた本町通りの、ゆるやかな坂を下る。下りきったあたりで目に入るのが土蔵群です。
田部家の遠祖は紀州熊野の豪族・田辺入道安西。初代・彦左右衛門が川筋の砂鉄を求め、室町時代にここ吉田で鉄づくりを始めたとされています。最盛期に産した鉄の量は、年間290トンにも及びます。造られた鉄は主に大阪に運んで売られ、各地に流通しました。所有する鉄泉丸、天祐丸といった千石船4隻は、安来港から船出し、佐渡の相川に渡った鉄は、金銀山の採掘に使われたものだといいます。田部家が代々守り継いできた膨大な古文書類も蔵の中に収められており、その整理、解読はいまなお続けられています。
田部家は、明治後も社会貢献を続け、明治7(1874)年、田部家第21代当主・長右衛門長秋は、私財を投じて私立田部小学校を開設しました。寺を校舎に充て、田部家の手代や神職らが算術や習字などを教えたそうです。学校は公立になるまで310年続きました。昭和12(1937)年には、長秋の子、第22代当主・長右衛門茂秋が、旧吉田小学校新築の際、土地を寄付したうえ、所有する山林の木材で校舎を建てています。後に焼失しましたが、被害を免れた講堂が、いまの生涯学習交流館です。
白壁になまこ壁の蔵が建ち並ぶさまは、壮観そのものでその数は18にも及びます。鉄蔵、扶持蔵、道具蔵、なかには文政蔵など時代の名がしとうどり付くものもあります。松江藩鉄師頭取の、往時の威光、繁栄ぶりを伝える土蔵群は、それを黙したまま今に伝える、雄弁なる語り部です。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.2.11
住所: 島根県雲南市吉田町吉田2407
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