槙ケ根一里塚(恵那市)
岐阜県史跡に指定・槙ケ根一里塚
2022年04月17日
槙ケ根一里塚は、昭和34(1959)年、11月16日、岐阜県史跡(岐史第八十二号)に指定されています。
一里塚は、一里(約4km)ごとに街道の両側に土を盛り、その上に榎を植えて旅人たちに里程を知らせた塚です。
戦国時代の末(16世紀後半)には、山陽道の備中の河辺から北九州肥前名護屋のあいだに築かれていたといわれますが、一般的には、慶長9(1604)年、徳川幕府が江戸日本橋を起点として、東海道や中山道などの主要な街道に設けさせ制度化させたものをいいます。しかし、180〜190年後の天明年間(1780年代)の頃には、姿を消したものがかなりあったという記録が残っています。
岐阜県内の中山道には、全部で32か所ありましたが、現在はそのほとんどがとりこわされ、現存しているのは、当市内のこの槙ケ根一里塚と紅坂一里塚のほかに瑞浪市内の権現山一里塚など五ヶ所の合せて七ヶ所にすぎません。
また、全国的にも現存する数はきわめてすくなく、一里塚時代は江戸時代の街道の面影を今に残す貴重な文化財です。
この槙ケ根一里塚は、北の塚が高さ約3.5m、幅は9.9m、南塚は北塚より少し大きく高さは3.9m、幅は 10.1mあります。塚の頂上に植えられていたといわれる榎は両塚とも残っていません。
近年の土地開発が進む中で、この附近の中山道は開発から免れており、この槙ケ根一里塚のほかに西行塚や西行坂なども原形をとどめ往時の中山道を偲ぶことができます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.4.9
住所: 岐阜県恵那市長島町中野
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