広島県立みよし風土記の丘(三次市)
国史跡浄楽寺・七ツ塚古墳群や歴史民俗資料館の資料と遺跡や文化財を公開・広島県立みよし風土記の丘
2022年05月01日

広島県立みよし風土記の丘は、広島県三次市にある風土記の丘です。
風土記の丘は、文化庁の風土記の丘設置構想に基づき、遺跡及び歴史資料の保存及び活用を目的として設置された史跡等の遺跡を中心とする野外博物館・公園です。
史跡等については、その保存を図るとともに、国民が歴史や伝統文化に親しむ場として公開・活用を推進することが社会的に要請されるようになり、文化庁においては、昭和41(1966)年度から、「風土記の丘」事業を開始し、古墳、城跡等が集中的に所在する地域の広域的な整備を進めてきました。
三次盆地は古くから文化が開けた地域で、貴重な文化財が多く残っています。
特に、古墳は広島県内の3分の1にあたる4,000基余りがこの地域にあり、中国地方有数の古墳密集地として著名です。なかでも国史跡浄楽寺・七ツ塚古墳群は、当地を代表する古墳群として知られています。
みよし風土記の丘は、この古墳群を中心とする約30ヘクタールの地域を広域的に保存し、歴史民俗資料館の資料と遺跡や文化財を一体的に公開しており、国の重要文化財「旧真野家(しんのけ)住宅」をはじめ、復原古代住居、復原石室・石棺や自然野草園、野鳥の森などが整備されています。
旧真野家(しんのけ)住宅は江戸時代のはじめごろ(17世紀)に建てられたものを保存するため、世羅郡世羅町戸張から移築したものです。柱は同じ太さの角材で、やりがんなで仕上げられており、もとは長押はなく、掌鶤居を使うなど古い形式を残しています。また、「にわ(土間)」と「おきま」の間を被声と格字窓で仕切り、「なんど」も片引声を使うなど、閉鎖性の強い構造になっていました。現状は、江戸時代中ごろに生活の変化に合わせて改造された状況を復元したものです。
古墳時代の復元建物は、古墳時代の代表的な3つの建物を復原したものです。竪穴住居は、当時のもっとも一般的な住居です。地面に竪穴を掘って床を作り、穴の上に木材を組んで、上から藁などの植物をかぶせて屋根にしました。この住居は三次市松ケ迫遺跡群の住居跡を参考にしたもので、中央には火を焚くためのを、壁ぎわにはカマドを設けています。
高床建物は、掘立柱が長く床の高い建物です。毅物などの収穫物や、そのほかの物資を収める倉庫として使われたと考えられています。床を地面から遠ざけることで湿気をさける、柱につけた「ねずみ返し」の板によって動物の侵入を防ぐなど、収められた物を保存する工夫がみられます。
平床住居は地上に丸太や板などを用いて柱や壁を立て、その上に屋根を作った建物です。
この建物をモチーフにした立派な家形埴輪が古でしばしば見つかることなどから、特に平床住居でも大型のものは、有力者の館として建てられたと考えられています。
開園時間 9:00~17:00
休園日 年中無休
入園料 無料
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.4.16
住所: 広島県三次市小田幸町122
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