石山城(おおい町〔旧大飯町〕)
石山城(亀山城)は武藤氏の居城であり、佐分利谷の石山を本質としてこの谷を支配していました。
武藤氏の出自については定かではありませんが「若狭国志」によれば、元丹後の国士で若狭守護武田氏が丹後を併領した時に属したとされ、若狭入部は永正年中(1504~1521)以降とみられています。
武藤氏は代々「上野介」を襲名し、「信長公記」にも「上野介」の存在を示しています。また「佐分利殿」とも呼ばれていたとされています。
最後の城主上野介友益は極めて好戦的な武将であり、天文7(1538)年、武田氏の家督争いに乗じ、加斗庄(小浜市上加斗)を攻め国人伊崎民部丞堯為を帰属、周辺に城郭を築き一族に守らせました。
その後も本郷氏所領への侵攻、高浜の逸見氏との合戦などを繰り返しました。
織田信長による越前朝倉氏侵攻時、反信長体制を整えるも元亀元(1570)年、明智光秀・丹羽長秀が佐分利谷に侵攻、武藤氏は降伏し、石山城は破壊されました。その後、天正8(1580)年には一族の武藤友賢・友慶父子が本郷氏に攻められ没落、以降、武藤氏は歴史上に登場することはありませんでした。
石山城跡がある山頂は海抜190.6mあり、佐分利谷全城を見渡せ、北西は福谷峠を越えて商浜へ、南は名田へ抜ける幹道の交差する交通の選所です。山頂に主郭を配し、主部から6方向に延びる尾根があり、各尾根は堀切・竪堀で区切られ、尾根上には小郭群が点在しています。
舞鶺若狭自動車道建設により石山城跡の北側部分が削られることとなったため発掘調査が実施されました。調査では礎石建物跡や屋敷跡、青磁碗や白磁皿などが出土し、塗りの鎧の一部も出土しました。町内有数の規模を誇る山城の一つです。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R4.12.10
住所: 福井県大飯郡おおい町石山
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