五百羅漢寺(和歌山市)
紀州徳川八代藩主重倫の祈祷寺・五百羅漢寺
2023年02月22日
五百羅漢寺(五百羅漢禅寺)は、山号は護国山、曹洞宗大本山永平寺の末寺で、宝暦14・明和元(1764)年に今福と関戸の村境から現在の地に移ってきました。
紀州徳川八代藩主重倫(しげのり)の祈祷寺として建立されました。
初代住職は、大本山永平寺の四十六世真空妙融禅師です。このご縁で永平寺の直系寺となりました。
寺には重倫公の像が安置されているほか、重倫公が使っていた座布団や御膳、木沓、菓子台を収蔵しています。
本尊の釈迦如来座像は、重倫公の母、清信院が寄進したものです。
本堂の中に列を成す多くの羅漢様は、天保8(1837)年から4〜5年をかけて西浜御殿の女中や商人が祖先供養のために再興奉納された仏像です。
これらの十六羅漢、五百羅漢、そしてご本尊様とお釈迦様の四人の弟子が本堂に座しています。
この地にはもともと慶長5(1600)年までは芦辺寺という寺院があったといわれています。この芦辺寺の楼門前にはかって「鶴立島(かくりゅうとう)」という岩山があり、この付近が神亀元(724)年に山部赤人が「若の浦に 潮満ち来れば かたをなみ 葦辺を指して 鶴なきわたる」と詠んだ「葦辺」にあたると考えられています。
また、秋葉権現社のかつての鳥居前には季梅渓により岩上に「亀遊岩」と刻まれた岩山が現在もあります。このように秋葉山には波によって削られて出来た同様の地形が多く見られることから、当時海が秋葉山麓まで奥深く入り込み、干潟となっていたと考えられます。
秋葉山には永禄6(1563)年に現在地である鷺森に移るまで雑賀御坊(現在の本願寺鷺森別院)があったことから、当時は弥勒寺山または御坊山とも呼ばれていました。この雑賀御坊の跡地には寛政5(1783)年に和歌山城下町の火災防止を願い秋葉権現社が創建されました。
また、現在の国道42号線を北上すると、42号線に東面して、「亀遊岩」同様の「猊口石」と呼ばれる岩山があります。そのほか、秋葉山の北側にある愛宕山の山麓には紀州徳川家の緑の円珠院や愛岩権現社があります。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R5.2.11
住所: 和歌山県和歌山市和歌浦東1丁目1−6
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