半田赤レンガ建物(半田市)
カブトビールの醸造工場として建設された半田赤レンガ建物
2023年03月21日

半田赤レンガ建物は、明治31(1898)年に「カブトビール」の醸造工場として建設されました。半田赤レンガ建物を設計したのは、明治建築界の三巨頭の一人妻木頼黄です。妻木頼黄の現存する代表作には、横浜正金銀行本店(現在は神奈川県立歴史博物館)、横浜新港埠頭倉庫、東京日本橋(装飾部設計)などがあります。安定した温度と湿度を必要とするビール工場ならではの特徴的な構造を持っており、2重~5重の空気層を有する壁(複壁)や、多重アーチ床(断熱耐火床)など、室全体を外気から遮断し、低温を保つ工夫が随所に見られます。
また、レンガ造建築物としては全国有数の規模を誇ると共に、日本のビール製造の黎明期における数少ない工場の遺構です。
カブトビールは、明治20(1887)年に四代目中埜又左衛門と盛田善平(後に、現在の敷島製パンの前身である敷島屋製粉場も開業)によって丸三麦酒醸造所で始められました。明治22(1889)年には「丸三ビール」として3000本を初出荷しています。
その後、急成長を遂げ、明治29(1896)年には、北海道のサッポロ、東京のエビス、横浜のキリン、大阪のアサヒに対抗して、丸三麦酒株式会社が設立されました。カブトビールの名称は、ビールなどを喉で勢い良く飲む「かぶる」から「カブト」に、日清戦争後であることから勇ましい兜の商標を用いた、など諸説あります。明治39(1906)年12月に根津嘉一郎が譲受して日本第一麦酒株式会社となり、明治41(1908)年に加富登麦酒株式会社へ改称しました。大正11(1922)年に帝国鉱泉株式会社と日本製壜株式会社を併合して日本麦酒鑛泉株式会社に改称し、昭和8(1933)年7月に大日本麦酒株式会社と合併しました。
昭和18(1943)年に企業整備令の適用で、半田工場を閉鎖してカブトビールの製造を終了し、建物は昭和19(1944)年に、中島飛行機製作所の衣糧倉庫となりました。
昭和20(1945)年7月15日、硫黄島からのP51小型機(通称:ムスタング)による超低空での攻撃を受けました。建物北側の壁面には今もその時の機銃掃射跡が生々しく残っています。
戦後は、日本食品化工(株)のコーンスターチ加工工場として、平成6(1994)年9月まで使用されていました。
工場閉鎖後、平成8(1996)年に半田市が買取り、安全管理上、通常は非公開となっていましたが、平成14(2002)年度から、建物の保存と活用を目的に活動する市民団体「赤煉瓦倶楽部半田(外部サイトへリンク)」と協力し、年に数回の公開を行ってきました。
平成16(2004)年、国の登録有形文化財建造物として正式に登録されました。
平成21(2009)年2月23日、半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)が経済産業省から近代化産業遺産として認定されました。
平成26(2014)年度に耐震補強工事を行い、平成27(2015)年7月18日に常時公開の観光施設としてオープンしました。
また、半田赤レンガ建物の保存活動を行う赤煉瓦倶楽部半田の企画により、平成17(2005)年6月に『復刻明治カブトビール」が発売されました。平成28(2016)年7月、半田赤レンガ建物「リニューアル1周年感謝祭」にて、「復刻大正カブトビール」の販売が開始されました。半田赤レンガ建物内にある『カフェ&ビアホール「Re-BRICK」』で楽しめるほか、ショップでお土産として買うこともできます。
展示室
開場時間 9:00~17:00(最終入場受付16:30)
入場料 大人200円 中学生以下無料
カフェ・ビアホール
営業時間 10:00~17:00(ラストオーダー16:30)
ショップ
営業時間 10:00~17:00
Photo Canon EOS 5D MarkIV
R5.3.18
住所: 愛知県半田市榎下町8
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