勝海舟別邸〔洗足軒〕跡(大田区)
自ら洗足軒と名付けた勝海舟別邸(洗足軒)跡
2023年09月30日
勝海舟の別邸は戦後まもなく焼失しましたが、茅葺きの農家風の建物でした。
鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の参謀西郷隆盛(南洲)と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。
その会見により江戸城は平和的に開けわたされ、江戸の町は戦禍を免れたのです。海舟は江戸庶民の大恩人と言えるでしょう。
その際、通り掛かった洗足池の深山の趣のある自然に感嘆し、池畔の茶屋で休息したことが縁となり、農学者津田仙(津田塾大学創始者、梅子の父)の仲立ちで土地を求めました。
明治24(1891)年自ら洗足軒と名付けた別邸を建築し次のような歌を詠んでいます。
池のもに 月影清き 今宵しも
うき世の塵の 跡だにもなし
晩年海舟は晴耕雨読の生活の中で、かえで、さくら、松、秋の草々などを移し植え次のようにも詠んでいます。
うゑをかば よしや人こそ訪はずとも
秋はにしきを 織りいだすらむ
明治32(1899)年77歳で没しましたが、「富士を見ながら土に入りたい」との思いから、生前より別邸背後の丘に墓所を造りました。
石塔の「海舟」の文字は徳川慶喜の筆と伝えられています。当初は海舟一人の墓所でしたが、後に妻たみも合祀され、大田区の史跡に指定されています。
(現地説明板などより)
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R5.9.17
住所: 東京都大田区南千束2丁目2−7
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