小梳神社(静岡市葵区)
徳川家康も人質時代から参拝していた小梳神社
2023年11月28日

小梳神社(おぐしじんじゃ)は、俗に少将井宮(少将井社)、略して「少将さん」と呼ばれ、駿府城の守護神として崇められていました。
建早須佐之男命、奇稲田姫命、大己貴命、天照皇大神宮が祭神です。
元の鎮座地は現在の県庁の東南側の所でした。その周辺一帯の地名を古くは小梳といい、後に東川辺と改められました。惣国風土記に「小梳神社所絲素豆鳴尊奇稲田姫也」と記載されています。
この東川辺の地に駿府城が築かれて以来は、駿府城の守護神としての信仰も加わりました。
家康は、今川義元の人質として駿府にいた時、小梳神社境内でよく遊んだ思い出の場所として、この神社を大切にしたといいます。「なをりその記」によると、家康が人質として駿府に来た時、まず、この神社に立寄り、服装を改め、武運長久の祈願をして、その後に今川義元と対面したと伝えられています。
今川家の人質として当神社の傍に住居し、神社の宮前町に居住した祖母華陽院とともに、日夜武運長久を祈願していました。
後年、家康が大坂夏の陣に勝利し、天下を平定してこの駿府城に隠居するにあたり、代々徳川家の守り神と伝わる大己貴命、天照大神二神を小梳神社に合祀し少将井五所大神宮と称しました。
元和元(1615)年9月3日林道春(羅山)に命じてこの由を社請に識さしめ奉献したものが現存しています。
これよりさき、慶長14(1609)年駿府城の城域拡張により、当神社はその郭内に入りました。
駿河大納言徳川忠長は不敬を冐すのをおそれ、また庶民参拝の便をはかって、寛永8年新谷町に仮宮を造って奉遷し、延宝3(1675)年現在の地に社殿を造営して遷宮しました。
当時、造営に当った城代は、松平左近大夫で、延宝4(1676)年6月、神奥渡御の神事がはじまりました。例祭日の7月27日、この風習は、今なお、氏子の間に引き継がれ、隔年に大神輿が市内を巡幸する姿は、夏の風物詩の一つとなっています。
明治8(1875)年2月、郷社に列し、明治40(1907)年7月に県社に昇格しました。
昭和15(1940)年1月、静岡市大火により社殿を悉く失い、同年建築した仮社殿も昭和20(1945)年6月の戦災により再び焼失しました。
昭和25(1950)年以来、本殿、社務所、手水舎その他現在の建物を順次復興建築されました。
なお、境内には、平田篤胤選文による駿府の国学者で「駿河国新風土記」の著者新庄道雄の碑があります。
Photo Canon EOS 5D Mark Ⅳ
R5.11.18
住所: 静岡県静岡市葵区紺屋町7−13
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