千手寺(亀岡市)
近年では雲海スポットとしても知られるようになった千手寺
2023年12月25日

千手寺は、山号は獨鈷拋山(とこなげさん)、臨済宗妙心寺派の寺院です。
大同2(807)年弘法大師空海により開創されました。千手寺の縁起によると、弘法大師が渡唐の途上、黒風雨で難破しそうになった時、観音菩薩に立願し、大望成就したならば尊像を刻すると誓い、無事唐に着きました。さらに恵果和尚から密教法儀の伝授を受けて帰朝に当たり、「密教流布相応の勝地にとどまるべし」と言って独鈷杵を投げると、宙に清えました。帰朝後、奈良春日大社に参籠して独鈷の行方を尋ねたところ、春日明神が示現し、「丹波国山内荘の北峰、娑婆山の松の枝にある。道を教えるからその地に千手観音を造立せよ」と告げました。このお告げに従い大師が麓まで来ると、春日明神の使いである白鹿がこの地の松にかかっている所まで導き、谷に消ええました。以後この地を鹿谷、山号を結抛山と呼ぶようになりました。また、大師は、香木を用いて一刀三礼して千手観音を刻み、安置したことが千手寺の始まりです。
その後、戦火により廃寺となりましたが、応永10(1403)年、鎌倉建長寺の蘭渓道隆の法孫、止菴和尚が来住
して、臨済宗寺院として中興されました。その後、天正5(1577)年にも兵火にかかり、妙心寺の禅岩和尚が 再興して妙心寺派に属するようになりました。
また、地元の猟師が霊場の峰に毎夜怪光が現れるのを、狐理の仕業と疑いこれを射たところ手ごたえを感じ、翌朝、血の跡をたどると矢は千手観音の左目に立っていました。
猟師は、罪を懺悔して末代まで弓矢を捨てることを誓いました。以後この千手観音は、眼病に御利益があるとされい4月17日、7月17日の縁日には、多くの善男善女の参詣が絶えません。
山門は入母屋造り、桟瓦葺、一間一戸の楼門形式です。下層は、両脇塀の屋根を流し、間を造り、阿吽二駄の仁王像を安置しています。又、正面三間・側面二間の上層には梵鐘を吊るし、鐘楼堂を兼ねた豪壮な造りの鐘楼門です。
元来この鐘楼門は愛宕大権現・白雲寺(現京都愛宕神社)の山門でした。残されている江戸期の棟札には、天保10(1839)年6月に江州八幡(現近江八幡市)の町衆の尽力で、愛宕山において建立されたと記載されています。
明治新政府の神仏分離政策により愛宕大権現は愛宕神社となり、仏様はすべて離山、あるいは破却されました。この鐘楼門も明治3(1870)年に千手寺へ移されることになり(尾
崎家文書)、同5(1872)年3月に移築、落慶法要が行われたことが、明治期の棟札より推察されます。
現在吊られている梵鐘は、江戸期弘化年間に当寺に納められ、戦時の供出を免れた鐘ですが、鐘楼門・仁王像は江戸期の愛宕山白雲寺の建造物として残された、数少ない貴重な文化財です。
山門前から雲海を望むスポットとしても知られています。
Photo Canon EOS 5D Mark Ⅳ
R5.11.25
住所: 京都府亀岡市稗田野町鹿谷大タワ7
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