火の山砲台跡(下関市)
下関要塞の砲台・火の山砲台跡
2024年02月16日

火の山砲台は、下関要塞の砲台として下関市側から関門海峡を見下ろす火の山(標高268m)の山頂に築かれました。配備された火砲は26門で、下関要塞所属の13か所の堡塁砲台の中では最大の攻撃力を誇りました。
周防灘から早鞆瀬戸(関門海峡の最狭部)に向かって進入してくる敵艦を射撃・撃退するとともに、下関市背面の守りを支援する陸上防御の役目も担っていました。
第1砲台、第2砲台、第3砲台、第4砲台があり、第1砲台はロープウェイ駅設置により消滅しましたが、第2砲台、第3砲台、第4砲台が残っています。
現在バス回転場となっている地下には、第3砲台の24センチカノン砲座が埋没していました。
平成12(2000)年に行った発掘調査の結果、南側の大砲前面にはコンクリート製の防壁(胸)が見つかりました。また、コンクリートを張った床と、溝状の切り込み、溝の中に固定された枕木、円形にならぶ鉄製のボルト・ナットが見つかりました。これらは、大砲を固定するための基礎(砲床)と考えられます。
第3砲台には24センチカノン砲が据え付けられていたことが記録にあるため、この位置に大砲が1門存在していたことがわかりました。
第4砲台は、火ノ山砲台の第1から第3砲台と造りが異なり、第4砲台だけで独立した造りとなっています。これは、海峡を守る役割を持つ第1から3砲台とは別に、当初の設計を変更して、内陸に存在する下関要塞本部を守る役割を追加したことによるものです。このような第4砲台の形は「堡望台」とよばれます。
中心にはコンクリートとレンガと石で築かれた地下倉庫(蔵量)があり、その上をさらに土で大きく覆い山のような形に整え、中央に観測所と司令室、両脇に28センチ榴弾砲を2門置きました。この大きな構造物の周りには、岩盤の上に石とレンガで積上げた壁(堡)が取り囲んでいました。堡の東側には海峡に向けて大砲を据え付けた砲座が築かれ、堡の北側には内陸部に向けた大砲を据え付けた砲座が築かれました。部分には、12センチカノン砲と15センチ臼砲がそれぞれ4問あったとされます。
28センチ榴弾砲は、明治時代に国産で大量生産された初期の大砲です。榴弾砲は、斜め上に砲を向け砲弾を発射し、その砲弾は上から加速をつけ威力を増して目標に到達する特色を持ちます。
28センチ榴弾砲の最大射程距離は7800mで、日本各地の沿岸部の砲台に設置され、主に敵艦の接近を妨げる役割を持っていました。
また、その威力から日露戦争の旅順攻略の際にも持ちこまれるなど、当時の主要な大砲だったようです。28センチ弾砲は、第4砲台中央の構造物上、東西両端に円形にませた砲座に1つずつ据え付けられていました。現在は東側の砲座が残ります。
砲座に挟まれた中央には観測所と司令室があります。観測所で砲弾を発射する際の距離と方向を測り、測量結果を司令室に伝え、司令室から両脇の砲座に具体的な指示が出されていました。
明治時代に築かれた第4砲台は、昭和に入り上空にむけた大砲(高射砲)を据え付けるために一部を新しく作り直したようです。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R5.12.29
住所: 山口県下関市藤ケ谷
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