勝山城(白浜町〔旧日置川町〕)

熊野水軍の一翼を担った安宅氏が築いた城館群が、「史跡 安宅氏城館跡」です。
安宅氏居館跡は、八幡山城、中山城、土井城、要害山城、勝山城、大野城、大向出城があり、令和2(2010)年3月 10日付で、比較的大規模で良好な状態で遺存しており、鎌倉時代から戦国時代にかけて、水軍領主の活動や領域支配の実態、紀伊半島の政治情勢などを知ることができる稀有な事例であるとして、八幡山城跡 中山城跡 土井城跡 要害山城跡は国の史跡に指定されています。
勝山城は標高212mの高所に位置し、安宅荘だけでなく海上をも望める安宅氏の領域支配のシンボルとなる山城です。東の尾根上には、すさみ(周参見荘)方面からの侵攻を意識して、岩盤を掘り削った堀切・竪堀で防御しています。この防御施設は麓からも遠望できるもので、安宅の湊に出入りする船舶に安宅氏の権力を誇示する目的があったと考えられています。平成19(2007)年度に、測量調査が実施されています。
勝山城跡の全体の規模は、東西約130m、南北約110mあり、城跡の南側に位置する堀切1の全長は約35m、堀切2は約40m、堀切3は約53mを測り、堀切1と堀切3の比高差は約10mもあり、威圧感を感じさせています。
城跡の規模と比較すると、曲輪の面積は狭小で、曲輪1は東西約10m、南北約23mを測り、平面形はやや細長の台形状を呈し、周囲には土星が巡っています。曲輪2は曲輪1の南側に位置し、東西約13m、南北約25mを測り、曲輪1との比高差は、約5mあります。曲輪の周囲を土星が巡っていますが、東側の一部が切れて、平入りの虎口となっています。曲輪には礎石に使われたと考えられる平石が散乱しており、建物があったことが想定できます。東の尾根上には5本の連続堀切が連綿と築かれています。
ただし、安宅本城跡方面への西の尾根上には、堀切が1本と造成が甘い平坦面が築かれているのみです。
これらの堀切の土塁には補強のためと考えられる石積みが施され、安宅荘の城跡に共通する築城技法となります。岩盤を掘削した際に出土した岩を堀の内側に積むなど、多大な労働力を投入して築いた山城です。
表採資料がみつかっていないため、土器編年による時期の決定は不可能であるが、土塁・虎口・石垣の組み方や構造が八幡山城跡に近似するものであることから、戦国時代~織豊期であろうと推定できます。
また、勝山城は、久木小山家文書の畠山尚慶(順)書状(切紙)中の「安宅南要害」に比定され、戦国時代の畠山氏の内紛の舞台となっていたことが知られています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.5.31
住所: 和歌山県西牟婁郡白浜町塩野
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