中山城〔田野井中山城〕(白浜町〔旧日置川町〕)
国の史跡に指定されている中山城〔田野井中山城〕
2024年06月13日

熊野水軍の一翼を担った安宅氏が築いた城館群が、「史跡 安宅氏城館跡」です。
安宅氏居館跡は、八幡山城、中山城、土井城、要害山城、勝山城、大野城、大向出城があり、令和2(2010)年3月 10日付で、比較的大規模で良好な状態で遺存しており、鎌倉時代から戦国時代にかけて、水軍領主の活動や領域支配の実態、紀伊半島の政治情勢などを知ることができる稀有な事例であるとして、八幡山城跡 中山城跡 土井城跡 要害山城跡は国の史跡に指定されています。
中山城は、安宅氏の家臣の田井氏の居城と伝わります。室町時代、榎本判官直光が築城し、姓を田井と改めその後、田井備後守の時に安宅玄蕃に攻められ、安宅氏に属しました。
立地する丘陵は、還流丘陵となっており、日置川の現流路と旧流路が形成した谷によって独立丘陵となっています。この独立丘陵は、北側と南側にそれぞれ頂部をもち、そのうちの北側丘陵に中山城は築造されています。北側丘陵の最高所は、約38mを測り、比較的標高が低いものとなっています。また、南側丘陵の先端には田野井春日神社が鎮座しています。この春日神社は、天文15(1546)年、安宅氏とその被官である田井氏の発願により社殿の造営がおこなわれたことが棟札により伝わっています。なお、天正10(1582)年には、田井氏が単独で造立主体となり社殿上葺きをおこなっています。
中山城跡は、主郭と曲輪Ⅱの2つの方形の平坦面からなり、その北側、西側、南側にコの字型に土塁を巡らし、さらに同方向に2重の横堀と堀切を配しています。
唯一東側には土塁、横堀ともにありませんが、小規模な平坦面(曲輪)と虎口が想定されています。中山城は、安宅荘中世城郭群の中でも比較的標高が低い位置にあり、居住性の高さと防衛性の高さを併せもつことから、田野井地域一帯の中心となる在地領主の拠点「館城」として評価されてきました。また、主郭と曲輪Iでは、主郭が城主居館、曲輪Iに所徒などの居住施設が想定されてきました。しかし、主郭と曲輪Ⅱでは、土塁の構築状況や石積区画等の土木作業量の観点から鑑みると、曲輪Iの方がより大きく、丁寧に整備された印象を受けるため、これらの再評価が必要です。
土塁の内側を石積によって補強する技法については、安宅荘内の城跡に共通するものであり、これまでの調査でも言及されてきたものです。出土遺物としては、染付、青磁、白磁、瀬戸美濃系陶器、備前焼、土師器、鉄釘、土錘、投弾用石等が出土しています。ほとんどが中世期(14世紀から16世紀後半代)のものですが、一部江戸時代の陶磁器が混じっています。調査面積(約184㎡)と比較して、出土量はかなり少なく、コンテナ(25記)3箱分となっています。備前焼や土師器の出土量が非常に少ないことから、廃城時の片づけ等を念頭に置かなければなりませんが、城跡の性格についてもう一度考え直す必要があると考えられます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R6.5.31
住所: 和歌山県西牟婁郡白浜町田野井
関連リンク
タグ
地図
関連情報