日本武尊の墓とされている白鳥陵古墳〔軽里大塚古墳〕
2024年06月19日
白鳥陵古墳は古市古墳群の南部の、西から東に延びる見晴らしの良い台地の上の平坦面に築造された、大型の前方後円墳です。軽里大塚古墳、前の山古墳ともいい日本武尊の墓とされています。
墳丘の長さは200mで、後円部は直径106m、高さ20m、前方部は幅165m、高さ23mと、後円部に対して前方部がより大きく造られています。墳丘は3段に築かれ、くびれ部の北側には造り出しが設けられました。広いの外側には堤と2重目の溝が巡っていることが、周辺部の発掘調査で明らかになり、古墳時代中期後葉(5世紀後半)に築造されたと推定されています。
「日本武尊は遠征の帰り道に伊勢で亡くなり、白鳥に姿を変えて河内の旧市邑(ふるいちむら)に舞い降り、そこに陵が造られたが、ついには天に上ってしまわれた」という白鳥伝説が、「日本書紀」などに伝えられています。この時、「羽を曳くように空を飛んでいった」という言い伝えは、羽曳野市の名称の由来とされています。
ヤマトタケルノミコトが没した場所(三重県亀山市)、白鳥が一旦舞い降りた場所(奈良県御所市)、最後に降り立った場所(大阪府羽曳野市)のそれぞれにお墓が造られ、合わせて「白鳥三陵」と呼ばれています。
百舌鳥・古市古墳群として、令和元(2019)年7月6日に世界遺産に登録されています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
R6.6.8
住所: 大阪府羽曳野市軽里3丁目