峯ヶ塚古墳(羽曳野市)
現在は「峰塚公園」として整備されている峯ヶ塚古墳
2024年06月19日

峯ヶ塚古墳は、古市古墳群の南西部に築かれた5世紀末の前方後円墳で、陵墓の多い古墳群内にあって、古墳を間近に見ることのできる数少ない古墳の一つです。古墳の構造や当時の社会などを理解する上で欠かせず、宿的な保護を図る必要があることから、昭和49(1974)年に国の史跡に指定されました。
羽曳野市ではこの古墳を公開・整備するために継した発掘調査を行ってきた結果、築かれた当時の古墳の様子が明らかになってきました。
古墳の中心となる墳丘の長さは96mを測ります。後円部の高さは約9m、直径約56m、前方部の幅74.4m、高さは約10.5mで、二段に築かれており、くびれ部の北側のみに「造出し」と呼ばれる増状の施設が存在します。この造出しは前方部側の一段目料面に取付き、その長さは約20mにも及ぶことが確認されました。また、造出し北側の跡からは「石見型の大型製品(木製はにわ)」が出土しました。この形の木製品はこれまで国内では15基の古墳でしか見つかっておらず、大阪府下では初めての出士で、残存長3.52m、幅0.75mと日本最大の大きさです。当時、権力者が好んだ貴重な高野慎で作られ、その形からは儀仗や幡(旗)を象ったものなどの説があります。また、これを立てる理由としては、「辟邪(邪気を払う・結界表示)」あるいは「権威の象徴」などが考えられます。
また、出土状況から造出しが前方部に取付く付近に樹出していたと復元され、墳丘上での葬送儀礼などの祭祀を考える上で新たな発見と言えます。
後円部には埋葬施設である石室が検出され、その中からたくさんの副葬品が発見されました。特に、太刀15振り以上や魚佩と呼ばれる魚形の飾り金具が出しました。
墳丘の周囲には濠と堤が巡っており、さらにその外側に二重目の濠の存在が、墳丘南側を除いて、確認されています。内側の濠は、現在はため池としてその一部が残っています。
内濠の痕跡である、このため池の南側の場所で実施した発掘調査によって、古墳築造当時の堤が見つかり、その堤を構築する様子も判明しました。
性質の異なる、複数の種類の土を突き固めながら交互に積み重ねて入念に盛土して基礎となる土台を構築し、いくつもの作業工程に分けて丁寧に堤を築いている状況が確認することができました。昭和62(1987)年には、峯ヶ塚古墳を含む5.3ヘクタールが地区公園として都市計画が決定され、現在は「峰塚公園」として整備されています。
百舌鳥・古市古墳群として、令和元(2019)年7月6日に世界遺産に登録されています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
R6.6.8
住所: 大阪府羽曳野市軽里2丁目
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