蟹江城(蟹江町)
小牧・長久手の戦い関連の蟹江合戦で知られる蟹江城
2025年03月18日

蟹江城は、永享年間(1429~1441)に北条時任によって築城されたと伝えられています。戦国時代、特に天正12(1584)年6月の戦いは特に激しく、蟹江合戦として語り継がれています。この戦いは、小牧・長久手の戦いにおいて、織田信雄・徳川家康連合軍と羽柴秀吉軍が戦いを繰り広げるなか、劣勢に傾いた秀吉がそれを打開しようとして起こした戦いでした。秀吉軍は、蟹江城主佐久間正勝の留守中をねらい、滝川一益を主将に九鬼水軍をともなって海上から入城しました。秀吉は留守を預かっていた前田種利を懐柔して難なく蟹江城占拠を成功させたのです。しかし、蟹江城の支城であった大野城の城主の山口重政や蟹江城にいた鈴木重安・重治兄弟の抵抗もあり、信雄・家康連合軍が反撃、2週間にも及ぶ籠城戦の末、信雄・家康連合軍が城を奪還して戦いは終わりました。
その後、翌年の天正13(1585)年には大地震が発生し、蟹江城は大破し、その跡地はほぼ消失してしまいました。現在残っているのは、本丸井戸跡と石碑だけで、これが蟹江城の存在を物語る遺構として現存しています。江戸時代の蟹江本町村絵図にも、「古井」と記されている場所が本丸井戸跡とされ、ここに城がかつて存在していた証となっています。
蟹江という地名の由来については明確ではありませんが、近くの河口部や海岸付近に蟹が多く生息していたことから、その名がつけられたと言われています。鎌倉時代には海東郡富吉荘に編入され、その一部として存在していましたが、江戸時代初期の1600年代には冨吉荘から分かれ、蟹江本町村として独立しました。
江戸時代に入り、蟹江川を中心に蟹江港が設けられ、商業交易都市として発展しました。また、定期市である六斎市も開かれ、賑わいを見せました。この時期、蟹江は商業活動が盛んな地域となり、経済的に栄えました。
江戸時代の文献には「蟹江古城」の描写があり、「城址、今は畑となる」という記述が見られます。この記録は、蟹江城がかつて存在したことを裏付けるものであり、地域の歴史的背景を知る上で興味深いものとなっています。
現在は、住宅地の中に蟹江城址の石碑がある城址公園が整備され、その西に本丸井戸が残されています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.3.14
住所: 〒497-0040 愛知県海部郡蟹江町城1丁目
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