萱生城(四日市市)
北勢四十八家の一つ、春日部氏の居城・萱生城
2025年03月20日
萱生城(かようじょう)は、文治年間(1186年~1189年)に一帯を支配した北勢四十八家の一つ、春日部氏の春日部宗方が築城しました。
現在は、暁学園の本部・中学校・高等学校となっており、城跡には通称「髪のびの井戸」と呼ばれてる古井戸が残っています。
元亀2(1571)年5月に始まった伊勢長島一向一揆の鎮圧に先立ち、永禄11(1568)年に、織田信長軍の本隊先鋒として派遣された豊臣秀吉・滝川一益の連合軍によって、萱生城は攻撃を受けました。
当時の城主は、北勢三家衆(土豪)の筆頭格であり、大矢知経頼や、伊坂(現在の伊坂ダム付近)の春日部太郎右衛門らの土豪を従え活躍していた春日部俊家でしたが、中村地内(学園向かいの丘陵)に陣取る織田連合軍を相手に、5年間にわたる激戦を繰り広げました。
しかし、兵糧が尽き、負傷した将兵の回復もままならないまま、天正元(1573)年の総攻撃を受け、萱生城は炎上し、北勢随一の要塞も灰燼に帰しました。
火の渦巻く中、城にいた多くの女性たちは落ち延びることなく、この井戸に身を投じ、城と運命をともにしました。それ以来、この井戸に姿を映すと髪が伸びるという伝承が語り継がれるようになりました。また、霧深い夕暮れ時には、怨念のこもった火の玉のような炎煙が霧に映えることもあったと伝えられています。
現在、この城山には近代的な白亜の学び舎が建っていますが、往時を偲ぶことができるのは、この古井戸と、「山神」の銘が刻まれた石碑、柱止めの基石などわずかな遺構のみです。山野を吹き上げる風の音の中に、乱世を生きた武将や女性たちの無念の嘆きが聞こえてくるように思われます。
(現地説明板などより)
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R7.3.14
住所: 三重県四日市市萱生町238
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