沢城(鈴鹿市)
神戸氏が神戸城に居城を移すまでの居城だった沢城
2025年03月21日
沢城は、正平22(1367)年に亀山城主・関盛政の長子である関盛澄によって築かれました。関氏の本拠である亀山城(若山城)を中心に、沢城、国府城、鹿伏兎城、峯城を分家の拠点とし、これらの城を合わせて「関一党」を形成していました。
城主は代々「神戸氏」を名乗り、盛澄-実重-為盛-具盛と続きました。神戸氏は、鈴鹿郡と河曲郡にまたがる二十四郷を支配し、その勢力を誇っていました。天文年間(1550年前後)に神戸城へと拠点を移すまでの約200年間にわたり、神戸氏の居城として機能しました。
沢城の具体的な構造は不明ですが、本丸跡と推定される地点は、東西約130メートル、南北約80メートルの楕円形をしており、周囲の水面より約70センチメートル高くなっています。また、「城掛」「城西」「馬渡」などの地名が周囲に残っており、本丸を囲む曲輪が複数存在していたことが推察されます。
近年の都市開発により、周囲は店舗などの建造物で埋め尽くされていますが、その際に行われた試掘調査によって、かつてこの地が城の名のごとく湿地帯であったことが確認されています。また、本丸南端の水路工事の際には、「むめ、かく」と墨書された土器が出土しており、当時の遺構の一端を今に伝えています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.3.14
住所: 三重県鈴鹿市飯野寺家町
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