旧尼崎紡績本社事務所 〔前ユニチカ記念館〕(尼崎市)
尼崎紡績に関して唯一現存している歴史遺産・旧尼崎紡績本社事務所 〔前ユニチカ記念館〕
2025年04月29日

尼崎市東本町に所在する旧尼崎紡績本社事務所(前ユニチカ記念館)は、明治33(1900)年に建築された尼崎市内現存最古の洋館であり、尼崎が工業都市として発展する契機となった尼崎紡績に関して唯一現存している歴史遺産で、工業都市尼崎のシンボルです。現在は未整備のため通常公開はしておらず、年に数回、一般公開しています。
明治22(1889)年尼崎紡績会社が設立されました。尼崎紡績は尼崎町のうち辰巳町(現在の尼崎市東本町)に煉瓦造2階建の大工場を建設し、明治24(1891)年に操業を開始しました。尼崎紡績は、技術的に困難とされた細番手・中番手の綿糸生産に主力を注ぎ、他社を合併しながら企業規模を拡大していきました。そして、大正7(1918)年には摂津紡績を合併して社名を大日本紡績と改め、日本最大の紡績会社へと発展していきました。尼崎紡績では、明治32(1899)年、尼崎本社工場内に本社事務所を新築することを決定し、翌年、煉瓦造2階建の本社事務所が竣工しましが、昭和20(1945)年、空襲で尼崎工場は大被害を受け、尼崎での綿糸生産は事実上終止符を打ちましたが、旧尼崎紡績本社事務所(旧事務所)は戦災を免れ、昭和34年(1959)から日紡記念館(後にユニチカ記念館)として一般公開されました。令和5(2023)年3月、尼崎市が旧事務所を取得し歴史遺産として 保存・活用していくことになりました。
この地は江戸時代の尼崎城下町の東端にあたり、付近には大物主神社・辰巳八幡神社、西教寺・常念寺・深正院などの社寺仏閣も多く、旧大物川(旧尼崎城外堀の一部)を埋め立てた大物川緑地公園にも近いです。
敷地は約900坪あり、敷地の南西寄りに建物が建っています。この地は尼崎紡績本社工場(後の大日本紡績尼崎工場)の敷地の最南西部にあたります。同工場は現在の尼崎市東部浄化センターや小田南公園まで広がる大工場でしたが空襲でほぼ壊滅し、この建物だけが残りました。
建物は煉瓦造2階建てで、1階建ての附属屋が2カ所に付いています。南側が正面になりますが、大きな玄関庇は竣工当初のものではなく後世に造り替えられています。屋根は瓦葺きで4本の煙突が立っています。アーチ窓の連続や階層を際立たせるベルトコースなどに外観上の特徴が見えます。
建物の構造は煉瓦造で、煉瓦の小口(一番小さい面)と長手(一番横長の面)がそれぞれ横に連続して並ぶ外観を呈する「イギリス積み」と通称される積み方をしています。経済産業省認定の近代化産業遺産や兵庫県指定の景観形成重要建造物等にもなっている貴重な歴史的建造物です。
建物の下部は赤煉瓦ではなく黒煉瓦になっています。この黒煉瓦は焼過煉瓦(しょうかれんが)と呼ばれ、高温で焼き過ぎるぐらいまで燃焼することにより硬度が高くなりますので、基礎部分に使用されています。焼過煉瓦は、建物の別の部分では外観上のアクセントとしても使用されています。
建物は昭和34(1959)年から記念館として一般公開され、この際に内装は大部分改められたようですが、竣工時の姿を残している部分もあります。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS R6
R7.4.25
住所: 〒660-0824 兵庫県尼崎市東本町1丁目50
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