吉原弁財天本宮(台東区)
吉原神社の飛び地境内地・吉原弁財天本宮
2025年09月08日
吉原弁財天本宮は、吉原神社の飛び地境内地です。
吉原は、元和3(1617)年に江戸における唯一の幕府公許の遊郭として、葺屋町東隣(現・中央区日本橋人形町付近)に開設されました。名称は、植物の葭が生い茂る湿地を埋め立てて町を造成したことから「葭原」と呼ばれ、のちに縁起を担いで「吉原」と改められたと伝わります。
明暦3(1657)年の大火を契機に、幕府の命により吉原は浅草千束村(現・台東区千束)に移転し、これを「新吉原」と称し、従来の遊郭を「元吉原」と呼ぶようになりました。造成にあたっては湿地の一部が残され、池畔には弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰を集めました。この池は花園池・弁天池とも呼ばれ、後に浅草七福神の一社として多くの参詣者が訪れるようになりました。
新吉原は江戸を代表する遊興地として繁栄し、江戸時代を通じて風俗や文化の源泉ともなりましたが、大正12(1923)年の関東大震災では、多くの人々が弁天池に逃れ、そのうち490人が溺死するという悲劇が起こりました。
その供養のため、大正15(1926)年には弁天祠付近の築山に大きな観音像が造立されました。
昭和33(1958)年に「売春防止法」が成立したことで、300年に及ぶ遊郭としての歴史は幕を閉じました。翌昭和34(1959)年には吉原電話局(現・吉原ビル)の建設に伴う埋立工事で池も姿を消し、わずかに名残を留めるのみとなりました。昭和35(1960)年には地域有志により記念碑が建てられ、碑文は俳人で古川柳研究家の山路閑古が揮毫しました。さらに昭和41(1966)年の住居表示の変更まで、新吉原江戸町・京町・角町・揚屋町といった町名が残されていました。
吉原弁財天本宮は、平成24(2012)年には有志の方々によって改修工事が行われ、壁一面には東京芸術大学の学生による壁画が描かれました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.8.23
住所: 東京都台東区千束3丁目22
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