矢野城〔保木城〕(広島市安芸区)
安芸熊谷氏により矢野城が築城され、室町時代から戦国時代は野間氏の居城となった矢野城
2025年12月03日
矢野城は、14世紀の南北朝の動乱の幕開けとともに歴史に登場してきます。
それは矢野城合戦と呼ばれ、建武2(1335)年12月、南朝方(宮方)の熊谷蓮覚が北朝方(武家方)の武田氏等の安芸国の有力武士を矢野城に迎え討ち、激しい攻防戦の末敗れたものです。
当時の矢野周辺は、宮方ゆかりの荘園が多く、武家勢力が浸透していない宮方の重要な根拠地でした。
また、矢野城からは山陽道が眼前に見えるとともに、広島湾への出入を見張ることができる陸海交通の要衝でもあります。
その後、文安2(1445)年には尾張国野間荘から野間氏が城に入り、弘治元(1555)年に毛利氏に減ぼされるまでの110年間居城としました。
現在矢野城跡では、尾根を分断した堀切等で区分された3つの郭群が確認されています。
特に中央の郭群の先端には、自然石を利用した門跡とみられる遺構が存在しています。
また、矢野城跡の麓には、土居・土居屋敷等、武士の屋敷地であったことを推定させる地名も残っており、矢野域が、この地域の中世武士団の拠点であったことを伝えています。
矢野城は現在、発喜(ほき)山(標高465.9m)の山頂付近、野間神社付近、尾根上などに計16の郭が残っています。
私は車で絵下山まで登り、発喜山、野間神社を経由して主郭部付近へ下っていくルートを辿りました。
比高400mほどの野間神社のある発喜山と比高200mほどの山稜とが発喜城と案内している資料もあります。野間神社は「大山祇之命」と野間氏最盛期の四代目「野間興勝」が祀られています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.11.15
住所: 広島県広島市安芸区矢野町
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