高麗橋(大阪市中央区)
東海道五十七次の終点・高麗橋
2026年02月17日
東横堀川は大阪城築城のとき外堀として改修されたといわれます。
高麗橋はそのころにかけられたらしく現在大阪城天守閣に保存されている慶長9(1604)年の銘のある鉄製擬宝珠(ぎぼし)はこの橋のものと伝えられています。
江戸時代の高麗橋は幕府管理の12公儀橋の中でも格式高く、西詰に幕府の御触書を掲示する製札場があったほか諸方への距離をはかる起点にもなっていました。かつて東海道は江戸の日本橋を基点とし、京の三条大橋を終点とする五十三次でしたが、江戸時代に入り新たに街道が整備され、大津宿(五十三次)を出て京市街地に入ることなく南下する東海道五十七次が整備され、伏見宿(五十四次)、淀宿(五十五次)、枚方宿(五十六次)、守口宿(五十七次)を経て終点は高麗橋でした。これは参勤交代で西国大名が京に入り朝廷や公卿との接触を防ぐためとの説もあります。
東海道の基点であったこともあり、明治時代に入ると高麗橋に里程元標が設置され、西日本主要道路の距離計算はここを基点に行われました。
明治3(1870)年9月大阪最初の鉄橋にかけかえられ、さらに昭和4(1929)年6月に現在の鉄筋コンクリートアーチ橋にかわりました。
欄干の擬宝珠や西詰にあった櫓屋敷(やぐらやしき)を模した柱は昔の面影をしのぶよすがとなっています。
令和6(2024)年11月4日に放送されたNHKのブラタモリ「東海道“五十七次”の旅▼第三夜 ついにゴールの大阪へ!」で紹介されました。
(現地説明板などより)
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R8.1.30
住所: 大阪府大阪市中央区高麗橋1丁目
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