雲林院(京都市北区)
元々は大徳寺の敷地にあった大寺院・雲林院
2026年02月23日
雲林院は、平安時代の紫野の史跡で現在は臨済宗の寺院です。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭でこの付近一帯は広大な荒野で、狩猟も行われていました。
淳和天皇(在位823~833)は、ここに広大な離宮紫野院を造られ、度々行幸されました。桜や紅葉の名所として知られ、文人を交えての歌舞の宴も行われました。
後に、仁明天皇皇子常康親王に伝えられ雲林院と称し、貞観11(869)年に僧正遍昭を招き仏寺に改められ、官寺となりました。寺としての雲林院は菩提講が名高いです。
「源氏物語」「伊勢物語」にも雲林院の名は現れ、「古今集」以下歌枕としても有名で、謡曲「雲林院」はそうした昔をしのんで作られています。
堂塔の造営や造仏が相つぎ桜の名所ともなりました。賀茂祭の選立を見物するために朝早くから雲林院のあたりに物見車が立ち並ぶ描写が『枕草子』に見えます。歴史物語「大鏡」は、この菩提講で落ち合った老人の昔物語という趣向で展開します。
の大徳寺の創始により
14世紀初めの鎌倉時代には、雲林院の敷地に大徳寺が建立され敷地の多くは施入、子院となり、応仁・文明の乱で焼失しました。
現在の雲林院は臨済宗の寺院として江戸時代に観音堂は宝永4(1707)年に寺名を踏襲して大徳寺の塔頭として再建され、十一面千手観世音菩薩像、大徳寺開山大燈国師像を安置しています。『源氏物語』「賢木」に光源氏が、逢ってくれない藤壺の態度が辛くて出家しようと、伯父に当たる桐霊更衣の兄律師のいる雲林院に籠る話があります。
平成12(2000)年に行われた雲林院跡東域の発掘調査で、初めて平安時代の園池や建物跡、井戸跡などが発見されまし
なお、ここより東方360mの堀川通の西側には紫式部と小野篁の墓伝承地があります。
これやきく 雲の林の寺ならん
花を尋ねるこころやすめん 西行
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS R6 MarkⅢ
R8.2.14
住所: 京都府京都市北区紫野雲林院町23
関連リンク
タグ
地図
関連情報