平成16(2004)年まで成瀬氏所有の城であった犬山城
2006年05月31日
犬山城は天文6(1537)年に織田信長の叔父である織田信康によって築城されました。小牧・長久手戦いの時には、羽柴秀吉が12万余の大軍を率いてこの城に入り、徳川家康・織田信雄軍と対峙しました。
文禄4(1595)年石川光吉が入ると城を改修し、天守を造りました。慶長6
(1601)年徳川家康の4男松平忠吉が清洲城に入ると犬山城はその属城となり、小笠原吉次が城代として入ったが、忠吉の死後、家康の十男義直が清洲に入封
すると尾張藩家老、平岩親吉が城主となりました。平岩親吉の死後には元和3(1617)年に成瀬正成が尾張藩付家老として犬山城主となりました。
明治維新後、天守閣を除くほとんどの建物は取り壊されました。明治24年(1891年)の濃尾震災で天守閣が損傷し、修復するという条件で成瀬氏所有の城となりました。
その後、昭和10(1935)年に国宝に、昭和27(1952)年に規則改正に伴い改めて国宝に指定されました。
城の所有者は、平成16(2004)年4月から財団法人犬山城白帝文庫が城の所有者となり現在に至ります。
平成18(2006)年4月6日、日本100名城に選定されています。
天守閣は現在国宝に指定されている4城(松本城、犬山城、彦根城、姫路城)の中でも最も古くに建てられた城です。
また、別名白帝城とも呼ばれています。別名の由来は、犬山城が木曽川に面して建てられており、三国志の劉備が最期を迎えたことで有名な長江沿いにある白帝城に雰囲気が似ていることから、荻生徂徠が命名したと伝えられています。
H18.5.26
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ(写真上)
SONY NEX-7(写真下)
H24.6.23(写真差し替え)