清洲城・清洲公園(清須市)
本来の清洲城跡・東海道新幹線の南側の公園
2006年06月01日

本来の清洲城は五条川を挟み復元された清洲城の対岸にあり、東海道新幹線に分断された形になっています。東海道新幹線の南側は清洲公園となっており、織田信長の銅像が建っています。
清洲公園は、この公園は、「清洲村古城地図」(旧尾張藩文庫・名古屋市蓬左文庫蔵)によって、清洲城の本丸および天守台の区域(東西四十間半・南北百一間半)を含む約五千坪(16,500㎡)を保存し、織田信長公を顕彰する目的で、大正11(1922)年に開園されました。
清洲城の沿革につきましては、公園北端(東海道本線の北側)の天守台址に掲示されておりますが、慶長14(1609)年に徳川家康が尾張藩の都を清洲から名古屋に移すことを決定し、名古屋城郭および城下町の造成工事に着手しました。翌慶長15(1610)年から同18(1613)年にかけて名古屋城が竣工し、清洲城下の町々や家々の新築移転がほぼ完了しました(いわゆる「清州越し」)ことにより、清洲城は取り壊されました。
尾張の中心都市として栄えた清洲は、文明10(1478)年以来130年にわたる華やかな歴史に幕を下ろし、名古屋として新たに生まれ変わったのです。
当時の臼引き歌に、次のような一節が残されております。
「思いがけない名古屋ができて 花の清洲は野となろう」
その後、清洲の旧市街地は次第に清洲新田として開発されましたが、清洲城天守台址233坪(770㎡)の土地のみは尾張藩により清洲城址として保存され、明治以降は宮内省の付属地とされ、現在は県有地となっております。
明治19(1886)年4月には、当公園内を貫いて東海道本線が敷設されました。
大正7(1918)年には、織田信長公への贈位を記念して清洲公園の建設が清洲町により計画され、設計は林学博士の本田静六氏および田村剛氏に依頼されました。町は用地5634坪(18,592㎡)を買収し、大正9(1920)年に県費補助事業として着工、大正10(1921)年に工事が完了し、翌大正11(1922)年に開園いたしました。
公園に植えられた樹木は町内の有志から寄付されたものであり、公園の建設費は48,619円でした。園内には、織田家の木瓜紋をかたどった「信長池」も整備されております。
開園以来、当公園は西春日井郡随一の公園として親しまれ、歴史を訪ね、風景を楽しむ散策客が多く訪れました。公園内外では、春の摘み草、五條川での舟遊びや魚釣り、夏のほたる狩りや川花火、秋の古城の月見、冬の雪見など、四季折々の風流が人々に親しまれてまいりました。
昭和11(1936)年には、故武田鋹太郎氏の寄贈により、26歳で桶狭間に出陣した織田信長公の雄姿を模した銅像(作者:杉浦藤太郎氏、考証:関保之助氏)が園内に建立され、清洲のシンボルとなりました。
永禄3(1560)年、甲冑をまとい清洲城から桶狭間の戦いに出陣する姿で、視線は桶狭間を向き、首にかけた数珠は味方を大いに勇気づけたといわれています。
なお、隣の濃姫像は平成4(1992)年に(株)加藤製作所から寄贈され、平成24(2012)年の清須市誕生7周年を記念して清洲城からここ清洲公園に移設されました。
その後、公園の姿は大きく変化していきました。昭和38(1963)年の東海道新幹線の建設にともない敷地の一部が用地にかかり、昭和47(1972)年には清洲西部土地区画整理事業により西側が拡張され、昭和62(1987)年には五條川の改修により一部の土地が買収されました。その結果、現在の面積は14,343㎡となっております。
平成9・10(1997・1998)年の二カ年にわたる整備工事により、当初の清洲公園の姿を生かしながらも、現代にふさわしい新しい清洲公園として生まれ変わりました。
H18.5.26
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
R7.7.26(写真差し替え)
住所: 愛知県清須市清洲古城448番地
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