大河内城(松阪市)
北畠氏と織田氏の戦いの舞台・大河内城
2006年06月11日
大河内城(おかわちじょう)は、応永22(1415)年、伊勢国司北畠満雅が北朝方に対抗するために築き、弟の顕雅を城主にしました。
その後、顕雅の子孫が居城し、大河内御所と称しました。北畠の一門では二代顕泰の兄にあたる顕俊を祖とする木造御所、多気郡田丸御所、飯高郡坂内御所、そして大河内御所が国司家とされ、大河内家は家督を北畠宗家から迎えて譲るならわしがありました。
織田信長の伊勢侵攻が開始されると、北畠具教は、居城を霧山城から大河内城に移しました。その際、大河内氏は多気郡大淀に移住しました。
永禄12(1569)年、阿坂城を落城させた織田信長は、大河内城を包囲しました。
2ヶ月に及ぶ籠城戦のすえ、信長の次男信雄を北畠氏の養子にし、和睦をしました。信雄もしばらくは大河内城を本拠地としましたが、天正3(1575)年には田丸城を修築して移り、大河内城は廃城となりました。その後、信雄は北畠一族を天正4(1576)年に誅殺しましたが、その際大河内6代当主の教通も運命を共にしました。
大河内城は、標高110m余りの丘陵突端部一帯、300m四方の範囲内に築造され、東裾には阪内川、北裾には矢津川が流れ、南裾と西裾には深い谷が巡って自然に要害の地を形成しています。城の縄張りは本丸を中心に北を大手口、南を搦手口とし、西に西ノ丸、東に二ノ丸・御納戸・馬場などを配し、随所に堀切や台状地が残っています。
駐車場 大河内地区市民センターに駐車場と看板有り(国道166号沿い)
H18.6.9
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H24.3.8(写真差し替え)
住所: 三重県松阪市大河内町
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