信貴山城(平群町)
信貴山城は、標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、東西550m、南北700mに渡って120以上の郭を配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭です。
空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡です。
信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城が繰り返された地であり、古くは、天智朝における高安城中心地域となり、中世には護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置にありました。
楠木正成の築城と伝えられていますが、本格的な築城は天文5(1536)年に木沢長政が築城したものといわれています。
永禄2(1559)年以降松永久秀が入城し、整備しました。
天正5(1577)年、上杉謙信の上洛軍に合わせて松永久秀は織田信長に反旗を翻し、信貴山城に籠城しました。しかし、謙信は上洛せず、信貴山城は織田信忠軍の大軍に攻められ、久秀は信長の望んだ平蜘蛛の釜と共に爆死したとされています。
現在は信貴山朝護孫子寺の空鉢堂が建っており、空鉢堂近くに石碑が建っています。
尾根筋の北側の部分には、斑鳩町教育委員会蔵の「信貴山古城図」(江戸時代)に、「松永屋敷」の記載があります。尾根を大規模に造成して平坦地を造り、土塁等で防御、東側に門跡を配するなど、場内での進んだ構造から松永久秀の居館部分として相応しい構造といえます。
(現地説明板などより)
朝護孫子寺から空鉢堂までは徒歩20~30分程度
H18.6.16
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H31.3.13
住所: 奈良県生駒郡平群町
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