龍田城〔龍田陣屋〕(斑鳩町)
片桐且元から始まる片桐氏の龍田藩の陣屋跡
2006年06月17日
龍田城は、室町時代に一乗院方衆徒龍田氏に築かれたといわれています。
関ヶ原の戦いの後、慶長6(1601)年、徳川家康は豊臣氏の家老として豊臣秀頼の後見人を任されていた片桐且元に大和龍田2万8000石の大名として取り立てました。その際、龍田城の跡に陣屋を築いたと言われています。
ちなみに茨木城の方は豊臣家家老の立場での預かり城であったと思われます。
大坂夏の陣の後、片桐且元は元和元(1615)年には加増され4万石を領しました。
且元は大坂夏の陣の後、20日後に死去し、子の片桐孝利が継ぎました。孝利は寛永15(1638)年に死去したが、嗣子が無く、一時は断絶されかけましたが、且元の功績を考慮して弟の片桐為元が家督を継ぐことで存続を許されました。ただし、1万石に減封されました。為元の後は、為次がついだが、嗣子が無く改易されました。
幕府は為次の弟にあたる片桐且昭を3000石の交代寄合としたが、且昭も嗣子がなく、且元の弟・片桐貞隆から始まる小泉藩の一族・片桐貞就を養嗣子としました。しかし、貞就も元禄7(1694)年に死去すると、これまた嗣子なく断絶し、且元系統の片桐家は完全に断絶し、陣屋も廃されました。
白山神社の裏側のため池・平太池が龍田城の唯一の遺構だそうです。
駐車場 なし
道が狭いので注意が必要です。
H18.6.16
Photo Canon PowerShot S95
H22.11.3(写真差し替え)
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町龍田南5丁目
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