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近藤道場「撥雲館」(調布市)

天然理心流の道場・近藤道場「撥雲館」
2006年07月30日
カテゴリ : 東京都 > 観光 > 建物・史跡
豪農であり、かつ篤農家でもあった近藤勇の父・宮川久次郎は、広い自分の屋敷内に寺子屋を開くとともに、幕末時盛んであった武術の一派「天然理心流」の道場を持って、勇とその兄たちをはじめ近在の子弟を集めて、学問や武術を指導していました。
天然理心流は、近藤長裕を初代とする流派で、江戸に道場を持つかたわら多摩地方に広く出げいこを行い、門弟の指導にあたっていました。
小技よりも気迫を重んじ、いかなる相手にも動じない極意必勝の実践を大事にする武道でした。
3代目近藤周助は、月に2・2回招かれて久次郎の道場に通っていましたが、勇の度胸と技量を見込み、嘉永2(1849)年近藤家の養子として迎えいれました。
時に勇16歳、後28歳で4代目を襲名しました。
この道場は、明治9(1876)年に近藤家の養子となり、勇の一人娘・瓊と結婚して、天然理心流4代目を継いだ近藤勇五郎(勇の長兄・音五郎の次男)の道場で、勇五郎は多摩一円の門人3000人を指導したともいわれている。

勇五郎は明治9(1876)年に父から分け与えられた屋敷内の納屋を道場としました。
この道場が「撥雲館」です。その名の由来は、ある時ここを訪れた山岡鉄舟(元幕臣。近藤たちが浪士組に参加して上洛した時の浪士取締役)が命名し、看板に揮毫したと伝えられています。
「撥」という字は「とりのぞく」という意味を持っていますが、「撥雲」という館名は暗雲を取り除くという意味で、当時の世相からみてうなずけるものがあります。
撥雲館は、その後手狭になったため、門下生の協力で昭和7(1932)年北側空き地に改築し、盛大な道場開きが行われました。
しかし、勇五郎は翌年83歳で亡くなりました。
その後も道場は門人たちの手で維持され、昭和50年代まで稽古が続けられていました。
太平洋戦争が始まり、調布飛行場の建設に伴う勇五郎宅取壊しの際にも、門人たちの熱意によって、道場は勇五郎の娘の嫁ぎ先である東隣の峯岸家の土地に移転されました。
さらに戦後になって、人見街道の拡幅のため再移転する時、再び近藤家敷地内の現在地に移築され、今日に至っています。
(現地説明板などより)
内部は非公開。


西武鉄道多摩川線多磨駅から人見街道を900m程度東側
Photo Canon EOS 30D
H18.7.21
住所: 東京都調布市野水1

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