皮肉と言うなら、これほどの皮肉は無いんじゃないかという景色でした。
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春になったら、さぞ咲き乱れるんでしょうね。
その時の光景は、きっと皮肉なほどに美しいだろうなぁ……そう連想させるだけのモノがありました。
もっとも去年の1月の話ですから、今はさすがにこのライフも撤去されてると思いますが……。
ちなみにライフがどの位の危うさで鎮座していたのかというと、こんな感じでした。
突風1つで落ちそうな位置ではありますが、落ちたとしても木に引っ掛かるんでしょうね、この位置だと。
しかし高さが……小さく写っているヴィッツのサイズから高が判るかと。
そしてその横に写っている自動車たち……。
もう二度と走ることは無いでしょうね……。
ここで南三陸を後にして、一路南へ。
飛び込んでくるのは報道では知っていても、理解には至っていなかった現実ばかり。
重機のサイズを考えたら、この瓦礫の山がどれほどの量なのか多少は理解出来るのではないかと思います……が、報道の通りこの手の瓦礫の山はいたるところにありました。
こんなの、みんなで分担して処分しなきゃどうにもならないよ……。
これを見た時、北海道は久慈港付近の瓦礫の処分を引き受けると言うべきだと思いました。
いち早く復旧した港に、船で輸送できるというメリットから考えて、北海道が一番迅速に引き受ける事が出来るだろうに……と。
まぁそんな声はついぞ上がりませんでしたけど……。
そして打ち上げられた船なんかもかなりの数がありました。
そうこうしていると、ここに辿り着きました。
不本意というのか、皮肉にもというのかはともかく、こちらも報道でずいぶん目にしましたよね。
集まっているのはご家族の方なんでしょうね、きっと……。
さすがにこの状況で車を止めて話を……なんてのは論外ですので、そのまま通過して先に進むと、そこには異様な光景が広がっていました。
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海の上に一本道が続いているという不思議な光景、これがそもそもおかしいんです。
何故なら、クルマに装備されているナビ上では、自分は陸地を走っていたからです。
深さ的に橋を掛けるよりも土を盛った方が早かったであろう事は簡単に想像出来ます。
はい、報道でもありました
地盤沈下です。
で、目の前の景色は海の上の一本道で、ナビ上では陸地……というのは確かにおかしいのですが、それ以上に異常さを感じたのが、この道そのものです。
この道、
ナビの地図上の道と位置関係がピッタリなんです。
つまり、早さ最優先で復旧させなければならなかった道であるにも拘らず、
元の地図通りの道を呆れる様な計測手間を掛けて作っていたんです。
後々の事を考え、地権的観点から問題が起きない様にという考え方があったかどうかまでは分かりませんが、こんな緊急を要するような時にやらなければならない手間なんでしょうか?
それは
人の命よりも優先される事なんでしょうか?
日本に巣食う、一般人の感性と乖離した異常性を垣間見たと思ったのは、私個人の勝手な思い込みでしょうか……。
まぁ色々あるんでしょうけど、あくまで個人の意見として軽く流してくれると助かります。
とりあえず報道で知っている「地盤沈下」には一切含まれていなかった現地の事実を、少なくとも1つは見れた……と、少なくとも私は思いました。
他の方がどう思うかは判りませんが……。
その先にもこの様に水没していました。
もちろん(?)この道も呆れるくらい
「地図通り」です。
この辺り……地理的に津波の到達時間を考えたら、おそらく誰も……。
そして、おそらくは土木工事用に搬入されていたのだろうと思われる重機が。
びっしりと貝が……引揚げるまでに結構時間が掛かったんでしょうね。
やはり皮肉なのは、自然をバックにすると古くなって田舎に放置された重機をただ撮影しただけにしか見えないことでしょうか……。
更に先に進むと、テレビ局が撮影をしていました。
撮影していた所はこちら。
パネルトラックが上に……。
撮影の邪魔にならない様にそそくさと移動しますと、ちょっと不思議な光景が。
海に浮かんでるにしては、足が見えてるって変よね……。
まぁ横にあるモノを見ればすぐに分かるわけですが。
こちらも地盤沈下です。
どれだけ沈下したんでしょうね……。
その先でも道路が崩れていたりしましたが
こちらも海沿いでしたから、津波は直撃だったんでしょうね……。
そして、別の意味で本命だったのがこちら。
わかりますでしょうか?
これ、
地震と津波の直撃を食らったにもかかわらず耐え切った女川原発です。
もちろん原発自体は見学出来ませんが、こちらなら……。
曜日は平日、到着時刻は営業時間内。
よし、見学出来る……わけがありません。
東北電力さんもそんな余裕は無かったんでしょう。
ゲートはガッツリ閉じてました……。
良くぞ耐えた、女川原発!と言いたかったんですけどねぇ……。
その先には、もう何度目か判らない瓦礫の山が。
で、ここにはアップしませんが、明らかに異様な光景を何度か目撃したので書きますが、どう考えても
「隔離施設」にしか思えない場所に仮設住宅が建っていたんです。
モタードで走ればさぞ楽しいだろうなぁ……というくらい細くてグネグネとした道路の脇の、申し訳程度しかないスペースに無理やり建てられた仮設住宅。
生活の助けになると思われるのは、わずかなコインランドリーのみ。
「ここ、テレビなんて映らんだろ……下手すりゃラジオも入らんぞ……」という立地(車のラジオは入りませんでした)に駐車場なんで余剰スペースなど無く、そこから人が住んでいる最寄の村までクルマで軽く30分……。
こんな所に老人が押し込められたら、孤独死という結果しか思い浮かびません……。
一時期
「仮設住宅を建てたにも拘らず、入居率が悪い」という報道から、被災者が贅沢を言っているという誹謗中傷がネット上にチョット流れましたが、
これは無理です。
「贅沢言わずにここに入れ!」というのは、いくらなんでも酷ですよ……。
もちろんちゃんとした立地条件の仮設住宅もあるのはこの目で見たので判ってはいますが、酷いところはホントにヒドイ……これもテレビでの報道はありませんでしたよね。
雑誌などでは暴露っぽく書かれてるのもありましたが……。
で、そんなショックを受けながら立ち寄ったのがこちら。
逞しいですね。
プレハブ建てて、商売を再開されていました。
せっかくなので何か買っていこうと思ったら、思わぬ幸運が。
お店の方が、地震直後からの写真を交えて話をしてくれたんです。
この地域は昔チリ沖地震による津波で家を流されてしまった地域だったそうで、津波に対する知識と慎重さが飛び抜けていたみたいで、直接的には聞きませんでしたが、話を聞く限りでは亡くなった方はいなかったようです。
上記の通り「地震直後からの写真を交えて」話をしたという事はですね……この方は、
地震も津波も状況をしっかり把握した上で逃げながら冷静に写真を撮っていた事を意味する訳ですよ。
経験者&経験地域は伊達じゃないですね……。
そして実体験された方の話はやはり違いますね。
ほぼ諦めていた被災された方からの話を聞けたのは、この上なく嬉しいものでした。
ここで書いても届くことはないでしょうが、
お話を聞かせくれて本当にありがとうございました。
妙な迷惑が掛かるといけないので住所などはあえて書きませんが、このお店は下の建物の反対側に立っていましたので、こういった話を聞きたいという方がいらっしゃいましたら、足を運んでみたらもしかすると話を聞けるかもしれません。
タップリ2時間ほど話を聞き、ラストスパートとばかりに走り続けたら、またしても異様な光景が。
なんでしょう、あの赤いのは?
妙にデカいです。
真横を走るダンプカーからも、大きさが判るかと。
なんじゃ、こりゃ?
そう言えば、東北に向かうチョット前にMSNのトップの1つにありましたね、これ……。
今はどうなったかわかりませんが、石巻も相当凄かったんですね。
この異様さにはびっくりしましたが、この辺で自分は時間切れでした。
ここからは高速で一気に横浜まで走り切り、なんとか予定に間に合いました。
自分が見たいと思っていた、見るべきと思っていた場所は見て回れたという実感はありましたが、これはまだ第一弾なんですよね。
MG-F号による第二弾がまだ……。
兎にも角にも、第一弾はこれにて終了です。
とりあえずメインどころは311に間に合いましたよね?
長くはなりましたが、哀悼の意を込めて書いてみました。