去る2月19日、フェアレディZの父、ミスターKこと片山 豊氏がご逝去されました。
享年105歳。
片山 豊
1909年9月15日、現在の静岡県浜松市天竜区春野町気多(旧周智郡春野町気多村)に生まれる。
慶應義塾大学卒業後、日産自動車入社。日産自動車創業者である鮎川義介氏とは親戚関係。
1960年、アメリカ西海岸で日産自動車輸出モデルの総称、DATSUNを販売開始。
その後、設立された米国日産初代社長に就任。
周囲からは、Mr.K(ミスターK)と愛された反面、「曲がらない男」として北米市場開拓と「Z」開発に尽力したことで広く知られています。
片山氏が手掛けたフェアレディZの前身は、1952年発売のダットサン・スポーツ DC-3を源流とし初代、ダットサン・スポーツ1000(S210型系)に始まり、1970年に生産終了されるまで2代目、フェアレディ2000(S310型系)へと進化を遂げています。
片山氏は、米国日産社長として更なる市場拡大のために当時販売していた、英国のMGやオースチン・ヒーレーなど小型スポーツカーを模したダットサン・スポーツ(フェアレディ)では力不足と考え日産本社へ「ジャガー・Eタイプ」のような車を作って欲しいとオファーしたそうです。
どちらも英国車なんですけどね(^ ^;
1969年、衝撃的なデビューを飾った初代、S30/S31型系。
異例とも言える5種類ものエンジンをラインナップし、そのスタイル、運動性能、更には戦略的な価格を武器に北米を中心に驚異的なヒットとなりました。
6代目Z34型系へとその系譜は今もなお継承され進化を続けています。
片山氏の生まれた春野町、とてものどかな山間の町。
ここへは時々、ZC32Sを駆りドライブを楽しんでいます。
この春野へ向かう途中、浜松市天竜区山東という所を通りますが、ここは本田宗一郎氏が16歳まで生まれ育った町。
在住地にはエスのマークの鈴木自動車本社、浜北区にはヤマハ発動機創業地、トヨタグループ創始者、豊田佐吉氏は西隣の市、湖西市山口の生まれ。
スイスポ乗りであれば皆さんご存知のモンスター(タジマモータースポーツ)本社は東隣の磐田市、こちらもスイスポパーツでお馴染みのRRP(R’s Racing Service)は東区にあります。
他県に住む皆さんの持つ静岡県西部のイメージは、楽器、お茶やみかん、養鰻(うなぎ)が一般的ではないでしょうか。
しかし、これほどまでに多くの自動車産業界の発展と躍進に貢献した偉人達を輩出した地域に、こうして住まう事が出来る事を、改めて感謝しなければならないと思いました。
今回、片山氏の訃報を綴ろうと思ったきっかけは、私が自分で初めて買った車、それが日産フェアレディZ S30。
1970年式 L20(L28換装) 大阪・Factorチューン 0-400m仕様車 2シーター シルバー キャブ:SOLEXφ44 フロントスポイラー装着
大阪に住んでいた友人より購入。 詳細は忘れましたが、かなり太いタイヤを履いてました。
エアコンではなく助手席に巨大なクーラーが吊り下げられており、エンジンに負担が掛かる、邪魔、軽量化を理由に撤去したことを思い出します。
パワーがありすぎてクラッチがすぐ滑ってしまうため結局、2年と経たないうちに手放すことに。
縦2連のマフラー、初代特有の一体型テールランプ、ポルシェと競争しても直線では負け無しの超スパルタンZ、、もう少し長く乗ってあげれば良かったかな~なんて。
私が車に嵌ったのも間違いなくこのS30のお陰(せい?)。
氏の訃報を知り昔の思い出が蘇りちょっと感傷的になってしましました。
1998年 米国自動車殿堂入り
モットーは「 Love Car , Love People , Love Life 」
DATSUN Z(ダッツン・ズィー)Z-carの父、片山豊さん、あなたの創った息子達は今もなお世界中で愛され続けています。安らかにおやすみください。心よりご冥福をお祈りいたします。
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Posted at
2015/02/26 04:17:32