2014年09月05日
怖い話、、、お聴きになりたいですか?
九月に入りましたが変な気候が続いてますね。。。
皆様、体調など崩されておりませんでしょうか?
今日のお江戸は残暑の戻りでしょうか?暑い日になっております。。。
さて、この耳袋、、、「怖い話、、、お聴きになりたいですか?」もファンの皆様からのコメントやメッセージによるリクエストで不定期ながら数回に分けて御紹介させて戴くことが出来ました。。。
これも単に皆様からの応援があってのことです。今後とも飽きずに御覧になって戴けましたらと存じます。
尚、お話の中には霊魂に対して絶対に思ったり、してはいけないこと等も記す場合が御座居ます。
皆様への霊障や憑依の防止策としての御参考になればとも思います。
さて、前回は海にレジャーに出掛けた一家の体験談でしたが、、、
今回は観光地に絡む耳袋を。。。
日本の歴史の街で有名な京都。。。
江戸時代から幕末期の日本の歴史を語るには欠かせない土地でもあります。。。
今回のお話はその京都の市内で実際に起きた怪談話でもしましょうかね。。。
京都には六花街というものが御座居ます。
「花街」とは、芸妓屋、遊女屋が集まっている区域を指す名称ですが。。。
京都の「花街」と言えば舞妓はんと言う図式を思い浮かべる方も多いかと存じます。。。
この舞妓はんは15歳位から必ず置屋に所属し、姐さん達に仕込みと言われる期間にキッチリと舞妓修行で仕込まれます。。。
そして、仕込まれた作法や芸事等の全てが及第点に達したと姐さん達が評価出来た段階で初めて舞妓はんになれる訳です。。。
さて、その昔。。。と、言ってもまだ二十年は経ちませんかね。舞妓はんに憧れて祇園の某置屋を訪ねた一人の少女が居ました。。。
その年に中学を卒業したばかりの15歳の少女、名前を沙耶さん(仮名)と言いました。
地元は京都から遠く離れた福井県の出身で、小学生の頃から花街の華やかさに憧れていたそうです。
沙耶さんの母親も元温泉芸者で今回の沙耶さんの選んだ路を後押ししてくれたそうです。
この日、もう一人この置屋さんに入門する女の子が居ました。
名前は佳奈さん(仮名)で年齢は沙耶さんの二つ年上のお姉さんでした。
置屋の御母さんに二人はお互いを紹介され、この置屋での教育係を務める姐さん達を紹介されました。
この日から厳しい修行が始まりましたが二人の少女は嫌な顔一つせずに下積みと日々の勉強に精を出し、日々の積み重ねを行ってゆきました。
修行中の二人はまるで姉妹の様に仲が良く、置屋の姐さん達も関心していました。。。
ある日、佳奈さんが言いました。
「なあ、沙耶ちゃん。ウチの地元の親友は宝塚音楽学校に入ったんよ。だけど、、、ウチの家にはそんな余裕はあらへん。そやけどウチは踊りや唄で夢を売れる世界で働きたいって思ってココに入門したんよ。」
あまり自分の事を話さない佳奈さんに沙耶さんは少々驚きながらも、更に二人の距離が親密になったと感じた。
沙耶さんは「佳奈姉ちゃん。もっと頑張れば私達、お客さんに夢を売れる様になれるよ。芸能人何かじゃなくていい。この仕事で一生頑張ろうね!」と、佳奈さんを励ました。。。
さて、、、修行の月日は流れ沙耶さんも佳奈さんも置屋の姐さん達や御母さんからも評判は上々で二人は晴れて舞妓になれる最終ステップの位置に来た。。。
実際にお茶屋さんの御座敷で踊りを披露し、舞妓はんとして身につけて来た作法を以って「プロ」の認定が受けられるかという段階でした。。。
その御座敷の当日、佳奈さんは風邪気味の様な体調で少々微熱があるにも拘らず御座敷の準備を始めた。
そんな佳奈さんを気にした沙耶さんが佳奈さんに「佳奈姉ちゃん。体調大丈夫?」と問いかけてみた。。。
佳奈さんは「うん。ちょっと風邪気味なだけだから大丈夫よ。心配してくれて有難う。第一、今日はお互い正念場じゃない。こんなんで休んで何か居られないわ。」と、笑顔で答えたと言う。
そして、姐さんに連れられお茶屋の御座敷に。。。
お座敷を盛り上げる為に踊りを披露しようかといった頃でした。。。
佳奈さんが突然倒れました。。。
すぐに救急車で市内の救急救命に運ばれ、精密検査。。。
佳奈さんは病に冒されていました。。。
急性骨髄性白血病。。。
進行も早く、、、最早治療も厳しい状況だったそうです。。。
でも、佳奈さんはそんな自分の身体を知らずにお見舞に来た沙耶さんに言ったそうです。
「沙耶。貴女は早く一人前になって御座敷で踊りなさい。私も早く身体を治して沙耶をおっかけるから。あー早く御座敷に戻りたいなあ。」
佳奈さんが倒れたとの連絡に佳奈さんの両親も広島県から駆けつけました。
そして、事実を知らされ両親は佳奈さんを連れて広島県に帰ると言い出しましたが、佳奈さんが納得する訳もなく。。。
結局、佳奈さん自身の希望でそのまま京都で入院することになりました。。。
置屋で新人一人になった沙耶さんは更なる修行に精進し、晴れて舞妓はんになる日を迎えました。
春の桜が満開の頃でした。。。
沙耶さんは病院に御母さんと教育係の姐さんも一緒にお見舞に出向き、この事を佳奈さんに報告しようとしました。。。
しかし、、、佳奈さんが入院する病棟が何か慌しい。。。
まさか!と思い佳奈さんの病室に行ってみるとカーテンで仕切られ、医師と看護師が慌しく処置を行っていました。。。
急性骨髄性白血病による臓器障害。。。
何とか佳奈さんに逢えた沙耶さんは「佳奈姉ちゃん!私、舞妓はんになれたよ!」と、報告するも。。。
佳奈さんは「御座敷、、、早よ出たい。沙耶と一緒に踊りたい。早よ一人前にならなあかん。。。しんどいわ。。。」
その数十分後、佳奈さんは春の風に誘われる様に静かに息を引き取りました。。。午後4時24分。享年19歳。。。
佳奈さんの御遺体は両親に引き取られ、広島県に帰って行きました。。。
沙耶さんは、佳奈さんが元気だった頃に佳奈さんと一緒に撮った写真を肌身離さず御座敷に出ていました。。。
佳奈さんが亡くなり四十九日も過ぎた頃。。。
深夜2時頃、、、置屋が寝静まった頃。。。
建物の中で鼓の音が繰り返し響き、、、その音に目を覚ました沙耶さんは。。。
鼓の音のする方向に行ってみると稽古場に華やかな着物を着た舞妓はんが舞っている後姿だったと言います。。。
あの背格好からしてそれは佳奈さんの姿みたいだったものですから、沙耶さんは思わず。。。
「佳奈姉ちゃん!」と叫んでしまったと言います。
沙耶さんが叫んだ声と同時に、その舞妓はんは振り向くところで消えてしまったそうです。。。
それからというもの。。。
沙耶さんが御座敷で踊っていた際に御座敷の窓硝子にもう一人の舞妓はんが踊っている姿が写り込んだり。。。
さすがに沙耶さんも最初は参った感じだったみたいですが、、、
沙耶さんは「お姉ちゃん。いつも一緒なんだね。。。」と、思わず笑顔になってしまったそうです。
そんな日々も流れ、沙耶さんは置屋では有名な舞妓はんに成長し、姐さんや御母さんからも信頼される位の立場になり数々の後輩を育てているそうです。。。
そんなある春の日、お茶屋さんに向けて桜が満開の川沿いを歩いていたら、、、見憶えのある着物を着た舞妓はんと擦れ違っって、、、
沙耶さんはすぐさま振り返り「佳奈姉ちゃん!」と叫んでみましたが誰も居ない。。。
きっと、佳奈さんは沙耶さんが可愛くて大好きな京都の街を沙耶さんについて歩いているのでしょうね。。。
祇園の街で妙に艶やかな黄色を基調とした着物を着た舞妓はんと擦れ違って、振り返ってもその姿は無い。。。
現在でもその置屋では深夜に鼓の音が聴こえるとの噂がありますが、、、誠かどうかは。。。
(注:このお話は当方の知人からのお話を基に構成しました。祇園の舞妓 沢田沙耶さん(仮名)は語る。)
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Posted at
2014/09/05 12:14:31
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