2014年09月05日
九月に入りましたが変な気候が続いてますね。。。
皆様、体調など崩されておりませんでしょうか?
今日のお江戸は残暑の戻りでしょうか?暑い日になっております。。。
さて、この耳袋、、、「怖い話、、、お聴きになりたいですか?」もファンの皆様からのコメントやメッセージによるリクエストで不定期ながら数回に分けて御紹介させて戴くことが出来ました。。。
これも単に皆様からの応援があってのことです。今後とも飽きずに御覧になって戴けましたらと存じます。
尚、お話の中には霊魂に対して絶対に思ったり、してはいけないこと等も記す場合が御座居ます。
皆様への霊障や憑依の防止策としての御参考になればとも思います。
さて、前回は海にレジャーに出掛けた一家の体験談でしたが、、、
今回は観光地に絡む耳袋を。。。
日本の歴史の街で有名な京都。。。
江戸時代から幕末期の日本の歴史を語るには欠かせない土地でもあります。。。
今回のお話はその京都の市内で実際に起きた怪談話でもしましょうかね。。。
京都には六花街というものが御座居ます。
「花街」とは、芸妓屋、遊女屋が集まっている区域を指す名称ですが。。。
京都の「花街」と言えば舞妓はんと言う図式を思い浮かべる方も多いかと存じます。。。
この舞妓はんは15歳位から必ず置屋に所属し、姐さん達に仕込みと言われる期間にキッチリと舞妓修行で仕込まれます。。。
そして、仕込まれた作法や芸事等の全てが及第点に達したと姐さん達が評価出来た段階で初めて舞妓はんになれる訳です。。。
さて、その昔。。。と、言ってもまだ二十年は経ちませんかね。舞妓はんに憧れて祇園の某置屋を訪ねた一人の少女が居ました。。。
その年に中学を卒業したばかりの15歳の少女、名前を沙耶さん(仮名)と言いました。
地元は京都から遠く離れた福井県の出身で、小学生の頃から花街の華やかさに憧れていたそうです。
沙耶さんの母親も元温泉芸者で今回の沙耶さんの選んだ路を後押ししてくれたそうです。
この日、もう一人この置屋さんに入門する女の子が居ました。
名前は佳奈さん(仮名)で年齢は沙耶さんの二つ年上のお姉さんでした。
置屋の御母さんに二人はお互いを紹介され、この置屋での教育係を務める姐さん達を紹介されました。
この日から厳しい修行が始まりましたが二人の少女は嫌な顔一つせずに下積みと日々の勉強に精を出し、日々の積み重ねを行ってゆきました。
修行中の二人はまるで姉妹の様に仲が良く、置屋の姐さん達も関心していました。。。
ある日、佳奈さんが言いました。
「なあ、沙耶ちゃん。ウチの地元の親友は宝塚音楽学校に入ったんよ。だけど、、、ウチの家にはそんな余裕はあらへん。そやけどウチは踊りや唄で夢を売れる世界で働きたいって思ってココに入門したんよ。」
あまり自分の事を話さない佳奈さんに沙耶さんは少々驚きながらも、更に二人の距離が親密になったと感じた。
沙耶さんは「佳奈姉ちゃん。もっと頑張れば私達、お客さんに夢を売れる様になれるよ。芸能人何かじゃなくていい。この仕事で一生頑張ろうね!」と、佳奈さんを励ました。。。
さて、、、修行の月日は流れ沙耶さんも佳奈さんも置屋の姐さん達や御母さんからも評判は上々で二人は晴れて舞妓になれる最終ステップの位置に来た。。。
実際にお茶屋さんの御座敷で踊りを披露し、舞妓はんとして身につけて来た作法を以って「プロ」の認定が受けられるかという段階でした。。。
その御座敷の当日、佳奈さんは風邪気味の様な体調で少々微熱があるにも拘らず御座敷の準備を始めた。
そんな佳奈さんを気にした沙耶さんが佳奈さんに「佳奈姉ちゃん。体調大丈夫?」と問いかけてみた。。。
佳奈さんは「うん。ちょっと風邪気味なだけだから大丈夫よ。心配してくれて有難う。第一、今日はお互い正念場じゃない。こんなんで休んで何か居られないわ。」と、笑顔で答えたと言う。
そして、姐さんに連れられお茶屋の御座敷に。。。
お座敷を盛り上げる為に踊りを披露しようかといった頃でした。。。
佳奈さんが突然倒れました。。。
すぐに救急車で市内の救急救命に運ばれ、精密検査。。。
佳奈さんは病に冒されていました。。。
急性骨髄性白血病。。。
進行も早く、、、最早治療も厳しい状況だったそうです。。。
でも、佳奈さんはそんな自分の身体を知らずにお見舞に来た沙耶さんに言ったそうです。
「沙耶。貴女は早く一人前になって御座敷で踊りなさい。私も早く身体を治して沙耶をおっかけるから。あー早く御座敷に戻りたいなあ。」
佳奈さんが倒れたとの連絡に佳奈さんの両親も広島県から駆けつけました。
そして、事実を知らされ両親は佳奈さんを連れて広島県に帰ると言い出しましたが、佳奈さんが納得する訳もなく。。。
結局、佳奈さん自身の希望でそのまま京都で入院することになりました。。。
置屋で新人一人になった沙耶さんは更なる修行に精進し、晴れて舞妓はんになる日を迎えました。
春の桜が満開の頃でした。。。
沙耶さんは病院に御母さんと教育係の姐さんも一緒にお見舞に出向き、この事を佳奈さんに報告しようとしました。。。
しかし、、、佳奈さんが入院する病棟が何か慌しい。。。
まさか!と思い佳奈さんの病室に行ってみるとカーテンで仕切られ、医師と看護師が慌しく処置を行っていました。。。
急性骨髄性白血病による臓器障害。。。
何とか佳奈さんに逢えた沙耶さんは「佳奈姉ちゃん!私、舞妓はんになれたよ!」と、報告するも。。。
佳奈さんは「御座敷、、、早よ出たい。沙耶と一緒に踊りたい。早よ一人前にならなあかん。。。しんどいわ。。。」
その数十分後、佳奈さんは春の風に誘われる様に静かに息を引き取りました。。。午後4時24分。享年19歳。。。
佳奈さんの御遺体は両親に引き取られ、広島県に帰って行きました。。。
沙耶さんは、佳奈さんが元気だった頃に佳奈さんと一緒に撮った写真を肌身離さず御座敷に出ていました。。。
佳奈さんが亡くなり四十九日も過ぎた頃。。。
深夜2時頃、、、置屋が寝静まった頃。。。
建物の中で鼓の音が繰り返し響き、、、その音に目を覚ました沙耶さんは。。。
鼓の音のする方向に行ってみると稽古場に華やかな着物を着た舞妓はんが舞っている後姿だったと言います。。。
あの背格好からしてそれは佳奈さんの姿みたいだったものですから、沙耶さんは思わず。。。
「佳奈姉ちゃん!」と叫んでしまったと言います。
沙耶さんが叫んだ声と同時に、その舞妓はんは振り向くところで消えてしまったそうです。。。
それからというもの。。。
沙耶さんが御座敷で踊っていた際に御座敷の窓硝子にもう一人の舞妓はんが踊っている姿が写り込んだり。。。
さすがに沙耶さんも最初は参った感じだったみたいですが、、、
沙耶さんは「お姉ちゃん。いつも一緒なんだね。。。」と、思わず笑顔になってしまったそうです。
そんな日々も流れ、沙耶さんは置屋では有名な舞妓はんに成長し、姐さんや御母さんからも信頼される位の立場になり数々の後輩を育てているそうです。。。
そんなある春の日、お茶屋さんに向けて桜が満開の川沿いを歩いていたら、、、見憶えのある着物を着た舞妓はんと擦れ違っって、、、
沙耶さんはすぐさま振り返り「佳奈姉ちゃん!」と叫んでみましたが誰も居ない。。。
きっと、佳奈さんは沙耶さんが可愛くて大好きな京都の街を沙耶さんについて歩いているのでしょうね。。。
祇園の街で妙に艶やかな黄色を基調とした着物を着た舞妓はんと擦れ違って、振り返ってもその姿は無い。。。
現在でもその置屋では深夜に鼓の音が聴こえるとの噂がありますが、、、誠かどうかは。。。
(注:このお話は当方の知人からのお話を基に構成しました。祇園の舞妓 沢田沙耶さん(仮名)は語る。)
Posted at 2014/09/05 12:14:31 | |
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耳袋 | 日記
2014年09月04日
Nyarrariさん!お待たせ致しました。。。
今回は不成仏霊に纏わるお話をしようかと。。。
皆さん!霊が彷徨うところってどんなトコを想像しますか?
病院?廃屋?死亡事故現場?海?山?川?
基本、、、霊って、、、不慮の死を遂げれば何処の土地であっても地縛になりますし、浮遊すれば限定されずに何処にでも居ます。。。
もっと言えば、、、見知らぬ方々の霊が今こうやって普通にインターネットを楽しんでいるアナタの背後で見ているかも知れません。。。単にアナタが気付いていないだけで。。。
さて、今日はそんな不成仏霊に纏わるお話を致しましょう。。。
昨年の夏のお話です。。。
日本海に面する北陸地方に海水浴旅行に出掛けた東京都在住のDさん一家が体験した実話です。。。
8月初旬に臨時で休みが取れたDさんとDさんの奥様H美さん。小学五年生の長男S夫君、小学三年生の長女E子さんの一家四人で夏休みの海水浴旅行に出掛けました。
早朝に東京を出発し、現地までは車で高速道路をひた走り、、、北陸道で目的地最寄りのインターチェンジを下り一般道へ。。。
一般道で走るコト約40分。。。予約していた宿に無事到着。。。
まだ、時間も13時と早く宿に荷物と車を預けDさん一家は近くの海水浴場まで徒歩で移動しました。。。
海の家で軽く昼食を済ませ、、、砂浜にテントを設営。。。強烈な日差しを避ける為にDさんは手際よくテントを完成させ、、、息子と娘を連れて砂浜に近い浅瀬で遊び始めました。。。
奥様はハンディカムで楽しそうな光景をビデオ撮影。。。
波が打ち寄せる度にはしゃぐ我が子。。。
浮き輪でプカプカと浮く長女。。。
しかし、、、ここで不思議なことが起こりました。
浮き輪で海面に浮いた長女E子さんがDさんの近くで何かブツブツと笑顔で話し始めたのです。
そう、まるで誰かと話しているかの様に。。。楽しそうに。。。
勿論、娘が会話出来る様な周囲には誰も居ません。
長男S夫君はシュノーケルをつけてDさん達の居る場所より若干沖に近い場所、、、少々深い場所で潜っています。。。
Dさんは娘の名を呼びましたが、、、娘E子さんは聞こえないのか浮き袋で浮いたままどんどん沖の方に泳いで行くので危険を察したDさんが泳いで追いました。。。
すると、、、長男のS夫君が妹の異変に気付いたのか妹の浮き袋の紐を掴み、岸まで何とか戻しました。。。
砂浜のテントでDさんが落ち着いて娘のE子さんに事情を聴くと、、、
おない歳位の男の子と女の子から声を掛けられ一緒に泳ごうと誘われ、浮き袋の紐をグイグイ引っ張られた。。。だけど、、、何か怖くなって「もうここでイイ!」と叫ぶも二人の子供はE子さんを更に沖に連れて行こうとする。。。
しかし、、、そんな少年少女はDさんも息子のS夫君も見えておらず、、、見えていたのはE子さんがどんどん沖に流されそうになっていた姿だけだったのです。。。
取敢えず、、、Dさん一家はその日の海水浴は切り上げて宿に戻りました。
案内された部屋からは海が一望出来る絶景の宿でした。。。
先程の事などすっかり忘れ、楽しい夕飯を済ませ明日の一日を楽しむべく温泉に入り子供達は早くに寝入ってしまいました。。。
子供達が寝静まった頃、Dさんは奥様のH美さんがハンディカムでビデオ撮影していたことを思い出し、、、昼間の不可解な事態を確認しようとビデオのモニターで映像をみていました。。。
すると、、、海の中でDさんと遊ぶE子さんの背後に男の子と女の子が確かに映っています。。。
それだけじゃなく、、、Dさんと海に入る時点で浮き輪姿の長女E子の脇で海の水に小学生位の男女2人の姿が写っているのをビデオが捕えていました。。。
水面に映っている子供を見ると明らかにE子さんの真横に居る筈なのですが実体が真横に居ない。。。
DさんもH美さんも背筋が凍る様な気がしました。。。
でも、Dさんは「まあ、これが仮に幽霊だったとしても悪いコトをする子達じゃないだろう。」などと都合良く考えてしまい、、、因みに奥様のH美さんは霊魂など全く信じないタイプでしたもので。。。
夜も更け、Dさん夫婦も床に就きました。。。
どれだけ寝たでしょうか。。。DさんはE子さんの話声で目を覚ましました。。。
E子さんが起きて海に面した窓際で何やらブツブツと話しています。。。
まさかと思い、窓際に目をやると。。。
2人の少年少女が窓の外に立って何やらE子さんを誘っています。。。
Dさんは咄嗟に「君たち!こんな夜中に・・・」と言い終わる前に2人の少年少女は消えてしまいました。
E子さんもその場ですぐに寝入ってしまい。。。
翌日の朝は昨晩の出来事に腑に落ちないDさんでしたが。。。
朝食を済ませ、再び家族で浜辺に海水浴を。。。
テントの設営を済ませ、今度は奥様のH美さんもE子さんと波打ち際で一緒に遊び。。。
小一時間位経った頃でしょうか。。。
Dさんと息子のS夫君は二人でシュノーケリングを少々深い岩場周辺で楽しんでいました。
H美さんとE子さんは疲れて砂浜に設営したテントで暫し休憩。。。
30分程度の後、、、H美さんはハンディカムを取り出して再び海に入ろうとするE子さんを撮影。。。
カメラのレンズの向こうには水面に男女二人の子供の姿が写り。。。
E子さんを呼んでいる。。。
慌てて、H美さんはハンディカムを置いてE子さんを追うも。。。
E子さんは浮き袋で沖に向かって泳ぎ出してしまいました。。。
それも、、、中学~大学時代に水泳一筋で泳ぎの得意なH美さんがE子さんに追いつけない位の速さで。。。
岩場でその異変に気付いたS夫君はDさんにその旨を伝え、急いでE子さんの泳ぐ方向へ。。。
E子さんはとても小学校三年生とは思えない速さで遊泳区域を超す寸前まで。。。
S夫君は遊泳区域ギリギリのところで何とかかんとかE子さんを確保!
そしたらですね。。。
「邪魔するなー。一緒に行くんだ~。」と、S夫君の耳元に何者かが囁く声。。。
海面に浮くH美さんは何か体全体に重いものを感じる。。。
水中を覗き込んだH美さんは思わず「キャーッ!」と声を上げた。
H美さんの胴体に数人の子供がぶら下がって沈めようとしている。。。
Dさんも、S夫君とE子さんの浮いている地点まで急いで泳ぐのですが何か背中が重い。。。
振り返ると顔がガイコツの少年がDさんの背中に乗ってDさんを沈めようとしています。。。
「わあ~ッ!」と、Dさんは溺れそうな状況で何とかその場を逃れるかどうかで・・・。
Dさんの視界の向こうにS夫君が沈んで行くのがみえました。。。
S夫君の足元には二人の子供がぶら下がっているのですから。。。
その奇妙な光景に気付いた浜辺のライフセーバーがS夫君を救出。
E子さんもDさんとライフセーバーに救われ何とか無事に岸に戻り。。。
奥様のH美さんも別の海水浴客に助けられ一瞬意識は失ったものの回復。。。
何とか家族四人、、、無事に帰還出来たそうですがね。。。
その浜辺でパトロールをしていた地元の漁協の方によりますとですね。。。
以前、何年か前に小学生の兄妹が波にさらわれて溺死した事故があったそうです。
丁度、時期的にも8月の初旬。。。
それ以前も子供が亡くなる事故があり、この浜辺に地縛霊となった不成仏な子供の霊が誘うのだと言われたそうです。。。
恐らく、、、小学校三年生のE美さんを誘って連れて逝くつもりだったのでしょうね。。。
翌日、この忌まわしい海水浴から東京に向かってDさん一家は車で帰途につきました。。。
そして、、、高速道路で長いトンネルにさしかかった時です。。。
Dさんの乗用車のルームミラーに「あの」小学生位の子供が映りこんだそうです。。。
一瞬だったそうですが、あれはDさんの単なる疲れや精神的なものだったのか。。。
その後のSAのトイレの個室で奥様のH美さんは子供のヒソヒソとした話声を聴いたそうです。。。
気のせいだったのですかね。。。
自宅の娘の部屋からヒソヒソと話声がしていたり。。。
あれからどうなったかは私、、、聴いておりません。。。
Posted at 2014/09/04 20:23:54 | |
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耳袋 | 日記
2014年08月24日
今宵はどんなお話をしましょうかね。。。
そうですね。。。皆さん幾ら暑いからって肝試しとか言って「心霊スポット」とか巡ってませんよね?
絶対に駄目ですよ。。。絶対に。。。
怪奇現象だの心霊体験だのを求めて、そういったところに面白半分で行った何て、、、あきまへん。。。
では、ここでは面白半分で某廃病院を訪れてしまった若者達のお話でもしましょうかね。。。
もう、十年以上も前になりますかね。。。
東京都下に住む仲良しグループの大学生5人。。。
リーダー格のA君。そして友人のB君、C君、A君の彼女D子さん。B君の彼女のE美さん。。。
普段からこの5人は同じ大学と言うこともあって、行動を共にしていた。。。
で、、、真夏のある晩、、、A君の「胆試しに行こう!」の号令に従って他の4人が全員一致で同意してしまった。。。
対象の場所はK県の廃病院。。。
テレビの特集番組でも取材されてしまう程の有名な廃病院でしたが。。。
どうも、、、この病院には無念さが強い方々の地縛霊が棲んでいる様で。。。
ハッキリ申し上げまして、、、肝試しだのの面白半分での霊場訪問は地縛霊や浮遊霊さん等の不成仏霊さん達には傍迷惑なお話でして。。。
霊魂の怒りを買うことが多いのですよ。。。
で、、、この彼らのグループは肝試しと言う考えでこの廃病院の中を散策。。。時間は午前一時過ぎ。。。
立ち入り禁止の建物の中に無理矢理入ってしまい。。。
処置室だった部屋の前で白い影が彼らの前を横切るのを確認。。。
この時点で止めときゃいいのに。。。
階段を上って、、、手術室だったと思われる元規制区域で、、、
手術室の中で物が落下する音や、、、エレベーターだったところの方向からストレッチャーの音が。。。
不気味に感じた彼らは、、、更に階段を上り更に上へ。。。
どうやら集中治療室だったらしいそのフロアでは、、、
Bが呟く。。。「何か聴こえる。。。」
他のメンバー全員が固唾を飲んで耳を澄ますと。。。
「ピッピッピッピッ、、、パララーンパララーンパララーン」と、心電図の警告音が。。。
すると集中治療室のドアがバーンっと開き。。。
全員、慌てて階段を駆け下り、、、
勢いあまって地下に行ってしまい。。。
彼ら全員が歩いた方向には霊安室。。。
霊安室の方向に彼らが歩くと彼らの背後からキーッキーッとストレッチャーや車椅子の動く様な音が。。。
「おい!後ろから何か来てるぞ!」とBが言ったと同時に背後を振り返るとですね。。。
血だらけの白い手術衣姿で帽子と血に染まった白いマスクを着けた看護師がストレッチャーを押しながらこちらを睨み付けている。。。
彼ら全員、腰を抜かし全員気を失ってしまったんですよね。。。
で、、、霊安室だった部屋で一番最初に目を覚ましたC君。。。
周囲を見回すと霊安室の蝋燭立てが倒れているのが目に入った。。。
Cの周囲で倒れている友人達を起こそうとCが立ち上がった瞬間。。。
カツン!
蝋燭立てが落下した。。。
Cは一瞬驚いたが気を取り直して霊安室の表を確かめに出て、、、
再び霊安室に入ると今度は、、、
霊安室に置いてある台の上で蝋燭が灯り。。。
慌てて仲間を大声で起こし。。。
わけも分からず全員で廃病院を脱出したものの。。。
彼らが乗って来た車を見て全員が絶句。。。
B君の家の車、、、トヨタ カムリのシルバーのボディに。。。
トランクリッド部分に複数の白い手跡。。。
彼らは慌ててこの場所を後にしましたが。。。
A君の彼女のD子さん。。。
翌日朝に背中に激痛が走り、耐えかねて近所の医院を受診したんです。。。
彼女の背中を診た医師が一瞬怯んだそうです。。。
彼女が痛みをうったえた部分が丁度、子供の手跡の様な形に焼けただれていたんですから。。。
又、、、E美さん。。。
翌日から夏風邪をひいてしまったのか咳が止まらず、マスクをしてアルバイト先に行ったそうです。。。
アルバイト先は仕出し弁当屋さんだったそうですが、、、
更衣室で会った同じアルバイトのJさんがE美さんの姿を見て腰を抜かしました。。。
訳も分からずE美さんは鏡を見ると、、、
着けていた白い筈のマスクが血の色にまだらに染まっていたそうです。。。
その後、A君は原付バイクで転倒事故。。。
命には別状はありませんでしたが右腕骨折の重傷。。。
B君は、、、駅の階段から落下。。。
彼が言うには朝から背後に誰かが居た気がしていましたが振り返ってみても誰も居ない。。。
夕方の帰宅ラッシュの電車を降りて階段を降りていたら背後から何者かに押された感触があったそうです。。。
腰椎捻挫で暫く、不自由な身体に。。。
C君は、、、ビル工事現場の横の歩道を歩いていたら落下物が、、、
たまたま、落下物が落ちる地点の数十センチ手前で携帯が鳴り電話をとった瞬間、、、C君の目前に建築用のボルトが落下!
電話口には、、、力の無い女の声で、、、「来るな〜 来るな〜 。。。」と。。。
廃病院に居た地縛霊達が彼らに警告を加えたんですかね。。。
それから彼らは、、、忌わしい体験を語らず心霊スポットに近付くことはなくなったそうです。。。
Posted at 2014/08/24 00:38:13 | |
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耳袋 | 日記
2014年07月10日
数々の霊現象のお話を聴きますが、やはり一番の恐怖になるのは縁もゆかりもない見知らぬ亡霊でしょう。
例えば、旅行先で撮った写真に写り込んだ見知らぬ人物。
海や山や川等で不慮の死を遂げた方の亡霊。等々。。。
大半は成仏出来ず現世を彷徨う霊魂になっていることが多いです。
今回は皆さんの身近で発生しかねない住宅に棲む見知らぬ亡霊に纏わるお話をしましょう。
東京都下の閑静な住宅地に建つ一軒家のお話。。。
外見は上品な作りで注文建築で建築されたことがよく判ります。
が、、、現在は空家です。。。
10年以上も前に中古住宅として売りに出され、格安物件として検討される方も多かったと聞きます。
購入者はK県に住むUさん。
で、最初に引っ越して来たUさん一家。。。家族構成は奥様、中学生のお嬢さんと小学生の御子息の四人家族。。。
引越しして来て数日が経過した頃の晩。。。
Uさんのお嬢さんが深夜に二階のお嬢さんの部屋で寝ていたところ、、、階段を登る足音と軋み音で目が覚めました。
隣の弟の部屋の扉を開閉する音がしたので弟が一階の台所にでも行ったのだろうと思い、その晩はそのまま寝直してしまいました。
朝になり、母親が台所で大騒ぎしているのを見て、台所中を見回したところ収納庫の扉が開き、収納物が床の上に散乱していることが判りました。
母親に「どうしたの?」と尋ねてみると、母親は「どーしたもこーしたもないわよ!朝起きて台所に来たらこの有様!一体誰が、、、」
お嬢さんは、昨晩の出来事を思い出し弟に「夕べ、台所に行った?」と聴くと「ううん。。。僕夕べは一回も起きてない。」と言う。。。
じゃあ、何で弟の部屋の扉が開け閉めされたのかも説明がつかない。
この一件は説明がつくことなく、この日は子供達は学校へ、主人は会社へ、母親はパート先へと家は日中留守になりました。。。
そして夕方。。。
お嬢さんが学校から帰ると。。。
またもや台所の収納が扉全開!収納物が散乱!
一瞬、泥棒にでも入られたのかと一階の和室からリビング、、、二階の部屋も、、、全ての部屋をくまなくチェックするも。。。
特に荒れた様子は無かったのです。
しかし、、、一階の和室に飾ってあった日本人形が横倒しになってた以外は。。。。。
そして、彼女は台所の収納の片付けを行いました。
その真っ最中、、、二階で物音が。。。
彼女は慌てて二階に上がり、「誰?誰か居るの?」と言うと同時に弟の部屋の扉を開けました。
すると、、、幼稚園児位の男の子が弟の部屋に居ました。。。
面喰らった彼女にその男の子は彼女の腕を掴み、グイグイと引っ張ります。。。
その腕を掴む男の子の手はこの世のものとは思えない位の冷たさで恐怖を覚える程でした。。。
彼女はその腕を振り払い、一目散に一階へと走り家を飛び出ました。。。
その日の夜、その出来事を母親に告げると「そんな馬鹿な。」と、とりあいません。
しかし、、、その母親が夕飯後、浴室で入浴中に「キャーッ!」と金切り声を上げたので浴室に行ってみると浴室の鏡に髪を振り乱した血だらけの女性が写ったと言います。。。
Uさん自身が夜中に一階のトイレに行き、階段を見ると中学生位の女子がゆっくりと階段を上る背中が見えたので「誰だ?」と声をかけたらその姿はスーッと消えたもんですからUさんは腰を抜かし。。。
が、、、Uさんの右腕に冷たい感触があったのでよくよく見てみると先程階段を上っていた女子が血だらけの怨念に満ちた形相でUさんの右手を掴んでいたと言う。
更に息子さんは金縛りを体験し、五歳位の男の子を見たと言う。。。
この様な尋常で無い事が起きたことからUさん一家はこの家の前の持主について調査をしました。。。
この家では何十年も昔に無理心中事件があったことを知りました。
父親が錯乱状態になり、母親を刺殺。浴室の風呂桶に遺体を入れて水に浸けてあったそうです。
次に幼稚園児の息子を二階の部屋で刺殺。
弟を助けようと階段を駆け上がった中学生の娘を刺殺。
台所の収納に二人の遺体を入れてしまったそうです。
妻と子供を刺殺した父親は車ごと行方不明になり、翌日の晩に某山林で首吊り死体で出たそうです。
更にこの土地は造成される前は林で、、、この土地に死体が埋められていたという曰く付きの物件でした。
Uさんがこの物件を購入した不動産業者は実は事件後に一回この不動産物件を別の業者が個人に販売していたので説明の必要は無いと思い説明しなかったと言います。。。
しかし、、、その最初の訳あり中古住宅購入者一家は物件契約後に交通事故で家族全員死亡。
Uさん一家は慌てて引越しました。
ただ、引越しの際に気付いたこと。。。
それは一階の和室に飾ってあった日本人形の髪の毛が異様に伸びていたこと。。。
亡霊が宿ったのですかね。。。
妙に格安な訳あり物件。。。よく事情を知った上で判断しましょうね。。。
Posted at 2014/07/10 11:59:47 | |
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耳袋 | 日記
2014年07月10日
久々の耳袋ですが、、、さて、今回はどんなお話を致しましょうかね?
病院に纏わるお話でもしましょうか?
病院ってトコは命のやりとりをする場ですから色々な事象、現象、遭遇といったお話が多いですが、これは当方が実際に体験したお話をここに公開するものです。
もう何年前になりますかね。。。
当時まだ私が人生建て直し期間中に大型トラックの運転手をしていた頃のお話です。
当時、某大手の長距離輸送専門だった私は東京→大阪便以外にも日本全国を走り回る生活をしていました。
この某大手運送会社。。。当時路線を持たず、何でもアリの他社からは「軍隊」呼ばわりされる程の勤務条件も激しい会社でした。。。
そんな折、、、東京発→大阪経由→??という配車で走る指示が配車係より下りました。
出発は午後8時厳守で待機となり、自分の前を走る大阪向けの車をチェックしてみました。
すると、、、同期入社のHが午後7時発で大阪向けの配車になっていることに気付きました。
Hは、当時28歳で妻と子供二人の四人家族。一家の大黒柱でした。。。
住まいも私と近隣で交流もあり、彼の家にも遊びに行ったことがありました。
そんなHとセンターの食堂で馬鹿話をしながら、Hの長男が来春小学校に上がるからと更に一生懸命なHの気迫が伝わって来ました。。。
さて、出発前に夕方から降り出した雨が本降りになり結構激しい降り方になって参りました。
この日は折からの台風の接近によって大荒れの天気が予想される日でした。
それでも、時間通りの配車で次々とセンターを向け先に向けトラックが出発して行きます。
そして、午後7時。。。Hの運転するISUZU GIGAが大阪に向けて出発して行きました。
お互い手を振り、「気をつけて!」を合言葉に別れました。
それを見送り、午後8時。。。私の出発時刻となりました。
予定通り出発をしたものの既に関西地方で暴風雨となっているとの天気予報。。。
東名高速道路は全て80km/h規制がかかり、通行止めも予想される中、視界最悪な中でひたすら東名高速を西に走りました。。。
冨士川を越え、高潮が恐い由比を通過。。。静岡ICを越してさらにひたすら走るが前方の視界は大雨でゼロに近い状態。。。
案の定、、、岐阜羽島から先は通行止になり、道路情報に表示されました。
無線で状況を報告し、センターの指示を仰ぐ。。。
「通行可能地点まで高速道路を使用し、一般道流出の上、走行を続けよ!」
岐阜羽島を目指す自分の耳に入る各車の無線のやりとり。。。
愛知県を越しても岐阜県内の一般道がどうやらヤバイらしい。。。
そんなやりとりを聴いている中で緊急の一報。。。
「事故発生。◯◯の◯◯◯号車。名神高速道路一宮付近で事故の一報。ドライバーの安否未確認。後続の◯◯の△△△号車、現在地を送れ!」
私に対する呼出しだった。。。
「現在、東名三好IC付近通過中。」
センターの指示により、現場での状況、事故の程度、ドライバーの安否を確認する様に告げられた私は、、、
単に焦る気持ちだけでトラックを走らせた。。。
「Hは無事なのか?」
小牧JCTを過ぎて小牧IC、一宮インターを過ぎて一宮JCTに差し掛かる手前でアルミのウイング箱が不自然な形で左側走行車線に停止している。。。
「Hの車だ。。。」
その前方には大型の14tウイング車が居て、更にその前は、、、キャラバンが前方の鋼材満載の重トレ(2デフのヘッドで引っ張る重量物輸送用トレーラー)のシャーシの下に潜り込んでいた。。。
私はその前方にトラックを停止させ、愛知県警高速隊の隊員に声を掛け最後方のトラックの同じ運送会社であることを告げ、Hは前方で発生した事故に気付くのに遅れて急ブレーキ、スリップして左側側壁にぶつかり、跳ね返ってから前方のトラックの箱にキャビン右から激突した様だと説明を受けた。
キャラバンには3人乗っていたそうですが不幸にも全員即死の状態だったそうである。
Hはキャビン内に挟まれた状態で自力での脱出は不可能な状況だったらしい。
既にHはレスキュー隊によって救出され、一宮市内の救急病院に搬送されたらしい。。。
現状を無線にてセンターに報告。
センターからの指示でこれ以上の走行は危険という理由で中断し、Hが運ばれた病院に行く様指示が出た。
現場の警察官に病院の場所を聞き、大型トラックが入れる地点まで行き、病院を訪ねました。
救急でHの知人だと説明し、救急救命措置の真っ最中だった彼に生命の危機が来ていることをそこで初めて知った。
センターに電話で報告の後、私は待合室の椅子でいつの間にか寝入ってしまった。
どれ位の時間が経ったろうか?
私は肩を叩かれる感触で目を覚ました。
振り返るとそこにHが立っていた。
「おい!H!お前平気なのか?」と私が言うと。。。
「俺はこれからまだ遠くに走らなあかん様だ。東京に居る妻と息子二人に宜しく伝えてくれ。」
「お前!何言ってんだ?」
「有難う!」
「おい!」
と、言ったトコで処置室で「午前4時22分。御臨終です。」と、医師が死亡確認する声を聞いた。。。
Hは既に事故現場から意識不明の重体で病院に搬送され、医師が診断した時には内臓破裂で腹腔内出血が多量だったそうである。
その事故から4日後、彼の自宅近くの斎場で通夜が営まれ翌日にはお葬式となり彼の亡骸は荼毘に伏された。
数日後、私は勤務に戻りあの悲しい事故から早く立ち直るべく次の配車を待っていた。。。
するとまた大阪行き。。。
あの時と同じ午後8時発。。。
天気は晴天。普通に東名高速道路を走り、名神高速に入り一宮インターを過ぎようとした瞬間。。。
突然、ラジオのスピーカーから、、、
「無理スンナヨ。タノンダヨ。。。」と音声が。。。
Hの声だったと思います。。。多分。。。
現在でも遺されたHの家族とは良いお付き合いをさせて戴いております。
きっと、、、Hは私を頼る以外なかったんでしょうかね。。。合掌。
Posted at 2014/07/10 02:45:02 | |
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