2014年07月10日
怖い話、、、お聴きになりたいですか??
久々の耳袋ですが、、、さて、今回はどんなお話を致しましょうかね?
病院に纏わるお話でもしましょうか?
病院ってトコは命のやりとりをする場ですから色々な事象、現象、遭遇といったお話が多いですが、これは当方が実際に体験したお話をここに公開するものです。
もう何年前になりますかね。。。
当時まだ私が人生建て直し期間中に大型トラックの運転手をしていた頃のお話です。
当時、某大手の長距離輸送専門だった私は東京→大阪便以外にも日本全国を走り回る生活をしていました。
この某大手運送会社。。。当時路線を持たず、何でもアリの他社からは「軍隊」呼ばわりされる程の勤務条件も激しい会社でした。。。
そんな折、、、東京発→大阪経由→??という配車で走る指示が配車係より下りました。
出発は午後8時厳守で待機となり、自分の前を走る大阪向けの車をチェックしてみました。
すると、、、同期入社のHが午後7時発で大阪向けの配車になっていることに気付きました。
Hは、当時28歳で妻と子供二人の四人家族。一家の大黒柱でした。。。
住まいも私と近隣で交流もあり、彼の家にも遊びに行ったことがありました。
そんなHとセンターの食堂で馬鹿話をしながら、Hの長男が来春小学校に上がるからと更に一生懸命なHの気迫が伝わって来ました。。。
さて、出発前に夕方から降り出した雨が本降りになり結構激しい降り方になって参りました。
この日は折からの台風の接近によって大荒れの天気が予想される日でした。
それでも、時間通りの配車で次々とセンターを向け先に向けトラックが出発して行きます。
そして、午後7時。。。Hの運転するISUZU GIGAが大阪に向けて出発して行きました。
お互い手を振り、「気をつけて!」を合言葉に別れました。
それを見送り、午後8時。。。私の出発時刻となりました。
予定通り出発をしたものの既に関西地方で暴風雨となっているとの天気予報。。。
東名高速道路は全て80km/h規制がかかり、通行止めも予想される中、視界最悪な中でひたすら東名高速を西に走りました。。。
冨士川を越え、高潮が恐い由比を通過。。。静岡ICを越してさらにひたすら走るが前方の視界は大雨でゼロに近い状態。。。
案の定、、、岐阜羽島から先は通行止になり、道路情報に表示されました。
無線で状況を報告し、センターの指示を仰ぐ。。。
「通行可能地点まで高速道路を使用し、一般道流出の上、走行を続けよ!」
岐阜羽島を目指す自分の耳に入る各車の無線のやりとり。。。
愛知県を越しても岐阜県内の一般道がどうやらヤバイらしい。。。
そんなやりとりを聴いている中で緊急の一報。。。
「事故発生。◯◯の◯◯◯号車。名神高速道路一宮付近で事故の一報。ドライバーの安否未確認。後続の◯◯の△△△号車、現在地を送れ!」
私に対する呼出しだった。。。
「現在、東名三好IC付近通過中。」
センターの指示により、現場での状況、事故の程度、ドライバーの安否を確認する様に告げられた私は、、、
単に焦る気持ちだけでトラックを走らせた。。。
「Hは無事なのか?」
小牧JCTを過ぎて小牧IC、一宮インターを過ぎて一宮JCTに差し掛かる手前でアルミのウイング箱が不自然な形で左側走行車線に停止している。。。
「Hの車だ。。。」
その前方には大型の14tウイング車が居て、更にその前は、、、キャラバンが前方の鋼材満載の重トレ(2デフのヘッドで引っ張る重量物輸送用トレーラー)のシャーシの下に潜り込んでいた。。。
私はその前方にトラックを停止させ、愛知県警高速隊の隊員に声を掛け最後方のトラックの同じ運送会社であることを告げ、Hは前方で発生した事故に気付くのに遅れて急ブレーキ、スリップして左側側壁にぶつかり、跳ね返ってから前方のトラックの箱にキャビン右から激突した様だと説明を受けた。
キャラバンには3人乗っていたそうですが不幸にも全員即死の状態だったそうである。
Hはキャビン内に挟まれた状態で自力での脱出は不可能な状況だったらしい。
既にHはレスキュー隊によって救出され、一宮市内の救急病院に搬送されたらしい。。。
現状を無線にてセンターに報告。
センターからの指示でこれ以上の走行は危険という理由で中断し、Hが運ばれた病院に行く様指示が出た。
現場の警察官に病院の場所を聞き、大型トラックが入れる地点まで行き、病院を訪ねました。
救急でHの知人だと説明し、救急救命措置の真っ最中だった彼に生命の危機が来ていることをそこで初めて知った。
センターに電話で報告の後、私は待合室の椅子でいつの間にか寝入ってしまった。
どれ位の時間が経ったろうか?
私は肩を叩かれる感触で目を覚ました。
振り返るとそこにHが立っていた。
「おい!H!お前平気なのか?」と私が言うと。。。
「俺はこれからまだ遠くに走らなあかん様だ。東京に居る妻と息子二人に宜しく伝えてくれ。」
「お前!何言ってんだ?」
「有難う!」
「おい!」
と、言ったトコで処置室で「午前4時22分。御臨終です。」と、医師が死亡確認する声を聞いた。。。
Hは既に事故現場から意識不明の重体で病院に搬送され、医師が診断した時には内臓破裂で腹腔内出血が多量だったそうである。
その事故から4日後、彼の自宅近くの斎場で通夜が営まれ翌日にはお葬式となり彼の亡骸は荼毘に伏された。
数日後、私は勤務に戻りあの悲しい事故から早く立ち直るべく次の配車を待っていた。。。
するとまた大阪行き。。。
あの時と同じ午後8時発。。。
天気は晴天。普通に東名高速道路を走り、名神高速に入り一宮インターを過ぎようとした瞬間。。。
突然、ラジオのスピーカーから、、、
「無理スンナヨ。タノンダヨ。。。」と音声が。。。
Hの声だったと思います。。。多分。。。
現在でも遺されたHの家族とは良いお付き合いをさせて戴いております。
きっと、、、Hは私を頼る以外なかったんでしょうかね。。。合掌。
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Posted at
2014/07/10 02:45:02
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