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ミナミナのブログ一覧

2017年08月07日 イイね!

1/1オモチャ

1/1オモチャいま楽しくて仕方がないマシン

YAMAHA RZ50(1981)

2サイクルゼロハンヒーロー

まぁ〜、乗っていて本当に楽しいです…

すっかり惚れきってしまったせいか
こんなの買っちゃいました(^^;;

(有)アオシマ文化教材社
エキサイティングゼロハン1/12シリーズ

箱絵の角度で撮影しました…

作らないくせにね(^^;;


うちにはこれもあります…

SUZUKIジェンマ50(1980)
☆イマイ1/12シリーズ

近所の下駄がわりとして活躍中(^^)



それから…

HONDA CB750F(1979)
Unionワールドビックモーターサイクルシリーズ

乗るたびに惚れるナナハンです…

コイツに出会えて良かった…




このように愛車と同じカラーリングの箱絵プラモデルをコレクションするのも楽しいんですが…


スカイライン2000GTターボEXのプラモデルは探しても無いのです(>_<)

仕方ないから…







タミヤ1/24シリーズを全部集めて不満を満たしています(バカね〜)


タミヤのR30シリーズの箱絵はポールニューマンらしいドライバーが描かれていますが…

ちがう…


ちがう…


ちがう…バックミラーでごまかすんじゃない


あら、!
ゴールドレーシングスーツは貫けよ(o_o)

お粗末でした…。


1/1オモチャ、まだまだ増えそう

怖い…



おわり

















Posted at 2017/08/07 19:05:01 | コメント(11) | トラックバック(0)
2017年08月05日 イイね!

ニッサン-スポーツ-クラブ 燃える男PLN

ニッサン-スポーツ-クラブ 燃える男PLN

前回のブログの中で1981年8月18日発表 新型スカイライン(R30型)のイメージキャラクターにポールニューマンを起用したのは、俳優業の傍らボブシャープレーシング(日産車)でSCCA(米国スポーツカークラブ)など好成績をあげていたため、日産プリンス自販が宣伝キャラにうってつけと目論み契約にこぎ着けたと書きました。



そこで、連日となりますがポールニューマンの戦歴について昭和55年(1980年)11月に日産宣伝部宣伝第三課が発行した

ニッサン-スポーツ-クラブ ポールニューマン物語から少し紹介。

これはプリンス自販ではなく日産本社宣伝部が作った37年前の資料です。

ポールニューマン(以降PLNと略)は1972年(昭和47年)にレース界に入りました。
47歳と言う高齢からでした。



レーサーになろうと思ったきっかけはレース映画の出演で、巨大な500馬力のカンナムマシンを走らせる役を受けた時と語っています。

もともとPLNの住んでいるコネチカット州に有名なライムロックサーキットがあり、そこでレースの練習が出来たのも理由のひとつみたいです。

1981年10月に登場する↑待望の4バルブDOHCスカイライン2000RSのコマーシャルフィルムもライムロックサーキットで撮影されます…


地元言えどサーキットには道具片手にヘリコプターで登場したそうですヨ。
流石☆ハリウッドスター☆



レーサー駆け出しの頃は用心深い安全運転でとても将来性を感じないとレース筋は見ていました。年齢が47歳でもあったし…

でも後の1979年、ルマン24HRレースで準優勝を勝ち取る本物のレーサーになった訳です。



PLNは回想して語ります。
「自分は他人の期待通りのパターンにははまらないようにしていた。そういう抜き差しならぬ深みに落ちた例を役者稼業時代、数多く見てきたのでその轍だけは踏まないよう用心していたんだ…」と。

ちょっとわかりづらいコメントですが、後のコメントを要約すると→「売れないチョイ役の修行時代から他の俳優の稽古を見ていて、自分は側から技術や合理面を身につけられる能力を持っているので不安ではなかった」と。


多くのプロレーサー達は一匹狼になりがちで、コーチされるのを嫌うのですが、PLNは映画監督の下で忠告される事に慣れており、話は何でも聞き入れ、技術を身につけたんだそうです。




〈 ボブシャープとの出会い 〉
PLNのレース生活に最も影響を与えたのは、コネチカット州PLN自宅に近いダットサンの販売店をもつボブシャープでした。



そしてボブからDATSUN510(日本名ブルーバード1600SSS)を提供してもらい練習を重ねました。



しかし1976年(昭和51年)PLNはボブシャープと別れ、トライアンフでレース活動を続ける事にし、同年10月とうとうSCCA全米制覇を成し遂げます。



翌年1977年、ボブシャープは引退しますがレースマシンの主力はフェアレディZ。

その頃、故障続きのトライアンフで手を焼いていたPLNはフェアレディZを求めボブシャープレーシングと再契約します。


この流れからPLNはDATSUNの販売と宣伝に好意的になり、宣伝効果のためPLNに用意されたのが最新鋭のフェアレディZとシルビアでした。



PLNは期待に応えるためさらに腕を磨きます。

余談ですが、
この時のPLNの視力は左右共に2.0(*☻-☻*)




SCCAシリーズ、PLNは無類の強さを発揮し、セダンクラスのシルビアは無敵の8連勝。フェアレディZでは8戦6勝、多くのサーキットでコースレコードを更新しました。



PLNの名言

「勝利がすべてではない、勝利はひとつの過程に過ぎない」

ん〜深かーーぃい… (^^;;



最後の頃は700馬力、V8 4.5リッターターボ 最高速320km/hのフェアレディZがPLNに与えられました。



terrific(凄まじく素晴らしい)と言うフレーズはこの時に発せられたと言ううわさ…



努力家で偉大な俳優&レーサー

そして

6代目スカイラインイメージキャラクター
ポールニューマン



我が愛機は大スターに宣伝いただいたクルマです(礼)



おわり
Posted at 2017/08/06 00:06:13 | コメント(8) | トラックバック(0)
2017年08月04日 イイね!

スカイラインとポールニューマン

スカイラインとポールニューマン


先日、日産プリンス自販がジャパン時代に作った真っ赤な工具箱を入手しました。



思えば210型(通称ジャパン)は今年で40周年なんですね、



おめでとうございます。

で、それから4年後の1981年8月18日…

フルモデルチェンジとなるR30型が発表されます。




1981年8月(昭和56年)、当時わたしは高校一年生。運転免許の無いクルマよりかバイクの方に興味がありましたのでR30デビュー当時の印象は正直薄いです。

でも、運転免許を取って1984年の11月にDR30最終型(ターボCプラズマ)を新車購入する事になり、スカイラインの魅力に取り憑かれた事は今でも覚えています。

写真は1986年(昭和61年元旦(実家にて))



そのせいか今でもR30(↑現在)を愛機として可愛がっています。



たまに自宅の本棚からR30のカタログや当時の雑誌を眺めてニヤニヤするのも趣味ですが、6代目スカイライン(R30シリーズ)はハリウッドスターのポールニューマンをイメージキャラクターに起用したので歴代スカイラインの中でもカタログや宣伝が華やかですね。


これ↑はR30発表間もない頃の雑誌の切り抜きです。

裏面↑は無視しましょうか(^^)


雑誌の切り抜きですが額装して部屋に飾っています…




昭和40年~50年前半、赤いクルマは売れていない時代ですが、GTの部類であえて赤いボディを広告車に使ったのは斬新だったです。


terrific=凄まじい


ついでに珍しい写真を紹介します…




これはポールニューマンがボブシャープレーシングDATSUN-Zでレースをしている頃のものです。


こんな写真も…

俳優業の傍ら優秀なレーサーでもあり、DATSUN(日産車)でレース活動をしていた事から日産プリンス自販が新型スカイラインのイメージキャラクターに合うと目論み巨額の契約金を投じ契約しました。




これ↑はまだRSが発表される前の横長なパンフレットです(SKYLINE SPILIT)。



桜井さんの新しい挑戦…



空力重視のフォルム…


時代を先取りしたカラーバンパー(エクストラ、GT-EX)



コンピュータ&ターボの時代…



5ナンバー枠で最高の性能を目指した設計者の拘り…

後にすごいモデルが登場します(2リッター4バルブDOHCターボ)↓





テストカー180台を要し、徹底した走りの追求…


レース復帰の予感…ナンバー30





江川(失礼、関係無いな(^^;;)




話をポールニューマンに戻しますが、彼は俗に言うスーパーカーと呼ばれる車を所有したことは一度も無く、

地球上でもっとも速いフォルクスワーゲンを目指すといったヘンタイさん(フラット4エンジンを取り払い、フォードV8エンジンと5速ミッションを押し込んだ300馬力仕様ワーゲン)。



そんな彼がイメージキャラクターで良かったです。スカイラインのコマーシャルをやっている陰でランボルギーニやフェラーリを乗り回している人じゃなんか…なんか…(¬_¬)
ですものネ(^^;;



亡くなられた現在でも6代目スカイラインの懐かしコマーシャル映像の放映は止められている(自粛?)みたい。残念…


ま、それだけに偉大なハリウッドスターの証…と言うヤツっすかね…



HR30ポールニューマンヴァージョン車にお乗りのかたは誇りですよ。






おまけ

当時コレ↑の後部座席に乗った人居ますかね?
感想聞きたい(^^;;



おわり



Posted at 2017/08/04 18:29:47 | コメント(13) | トラックバック(1)
2017年08月01日 イイね!

夏休みの工作

夏休みの工作8月に入りました。


学生さんは夏休み真っ只中ですね。

小学生は夏休みの工作課題が出ている事でしょう。

で、わたしも夏休みの工作をやりました(^^)


工作はイベント用ナンバープレート。

旧車のイベントなどクルマを展示する時の化粧ナンバープレートがあるといいな…と思っていました。



↑これは前に乗っていたDR30(NAの2000RS)に使っていたイベント用ナンバープレートです。

工作は、これを流用します。


まずフロント用

2000GT TURBO のサイドデカールの幅と高さがナンバープレート枠にぴったり!

贅沢にこのデカールを使っちゃいましょう(^^;;

背景が黒では印象も暗くなるのでボディ色(カラーバンパー)と同じ赤にすることにしました。


裏面↑を赤ペンキで筆塗りします…


スプレー塗装より筆塗りの方が創作感出ますからね。


塗料が乾いたところで…




2000GT TURBOのデカールを貼りました。


上手く貼れたけど、なんか味気ないな…



もうちょいアクセントが欲しいのでカタログから「日産プリンス~愛のスカイライン」の文字をハサミで切り抜き…


2000GT TURBOに組み合わせます…

フロントいっちょあがり(^^)v



続いてリア用。

フロントと同じじゃおもしろくないので…

リア用にもカタログからNISSAN PRI♡NCEのロゴをコンビニのカラーコピー機で150%に拡大コピー(^^;;

どーんとNISSAN PRI♡NCEロゴ拝借(^^;;


ロゴ紙の裏に両面テープを敷き詰め、

それを黒の塩ビ板↑に貼り…


それを適当サイズにカットし下半分に貼り合わせました。

カラーコピーした物は紙だから耐水加工しましょう。

たまたま既成で売っていた透明保護フィルムが家にあったのでそれを使って紙部分わ保護しました。



はい、出来上がり(^^)v



取り付けるとこんな感じです…




自己満足ですがなかなか良く出来ました。


夏休みの工作おわり。



〈おまけ〉

お気に入り6代目スカイラインTV-CF































夏本番、みなさんお大事に(^^;;






おわり
Posted at 2017/08/01 07:31:28 | コメント(13) | トラックバック(0)

プロフィール

「ボディカラーが美しい http://cvw.jp/b/1773801/48328869/
何シテル?   03/23 18:36
旧車マニアのミナミナです。1981 式HR30、Z1100GP、YAMAHA RZ50の3台を可愛がっています。 同じ価値観でおな話できると嬉しいです。どうぞ...
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