
この(Favorite)シリーズ?は、、
「誰か愛する人でも見つけろ。それか趣味をもて。生きがいだ」(同士少女よ敵を撃て)
「君は例えそれが凄く小さな事でも何かに凝ったり狂ったりした事が有るかい♪」(
ゴロワーズを吸ったことがあるかい)
なぁ~んて、趣味をちょこっと軽めに書くつもりでしたが、なんかペダンティックになっちまったかな😛性格?
走馬灯のように見えたのか、ロクハチ爺さんが「終末準備?」と言ってきた、、今年は、ちとドメスティックに振った話から始めましたが、次回からは通常運転の予定です✍️
最初は本の話題で始めたので、終わりもそーしてみます🤗
ボクの身内?で本を出された方々です📖
以前にも
何処かで書いている人も居ますが、まぁ纏めて書いてみましょう、、、
桑原晃弥、、てるちゃん
このベストセラー作家は、ボクの従兄弟なんですよ✌
色んな方々の言葉を紡がれています、、、
大谷翔平、羽生結弦、藤井聡太、美輪明宏、ビートたけし、志村けん、野村克也、
イーロンマスク、スティーブジョブズ、トランプ、エジソン、岡本太郎、佐藤愛子他
よく売れたのは、ジョブズやバフェットだったのかな!?
講演にも回られています(経済経営ジャーナリスト!森永さんの後を継いでくれ/笑)
そーいや、めざましテレビにもリモートで出演されてました📺
桑原隆博、、たかちゃん
此方は晃ちゃんのお兄さんですね(笑)
共書でこんな本を出されています、、、
「原始・古代の日本海文化」「四隅突出型墳丘墓」
高校の時に岩宿遺跡(在野の学者が日本考古学史上最大の発見をした)の本を偶然買って考古学の道へ進んだとかで、
他にも考古学の本や雑誌なんかへ、いっぱい古墳関係の論文を発表されています。
民俗資料館の館長の頃には現天皇陛下(当時は皇太子)へ説明をして廻ったそう😙
この二人は吉舎(きさ)という処の出身でボクと同じ高校(三次高校)だったのです。
(後鳥羽上皇が隠岐に流される途中に「吉き舎(やど)であった」と言われ地名が!)
そんなボクはといえば高校の頃に勉強の世界からドロップアウトしちゃったのですよ~
高校から下宿生活だったのですが、田舎から出た反動か?本ばかり読んでたのですね
で、ある時に皆で勉強しているのが鶏舎の鳥や豚舎の豚みたく思えちゃって🐔🐖
特に、ガチョウやアヒルの口へ漏斗を突っ込んで餌を与えて肝臓を肥大化させ
フォアグラを作る絵が浮かんでしまい、な~んか嫌になって、、青春の感受性か?
同時に手塚治虫さんのブッダを読んで興味を持ち、他にも色んな釈迦伝を読んで
そう~苦行はダメで中道が良いのだと勝手に都合よく考えてしまい😓
気が付いたら、落ちこぼれていました、、(嗚呼)
あの時期の勉強は貴重だったのかもね!?
「若き時、仏法はたしなめと候う」(蓮如上人)
高1の頃の吉◯君は可愛い目付きのアイドルだったなぁ(
前回blog参照/笑)
古本泊、、とまるちゃん
書のところに書いた、お世話になった従姉妹(瞳さん)の弟さんですね👨
この御家族は、うちの田舎で育ったこともあり、後年僕は色々助けて貰いました~
(叔母さんには親父が入院してる時やボクの離婚の頃、お姉さんには就職や親の介護や葬儀とか助けられましたし)
泊ちゃんにも、ボクが最初の会社を4ヶ月で辞めて田舎でぶらぶらしていた時に
そのあと定年まで勤めた会社を紹介してもらったのです(感謝)
やはり共書でこんな本を出されていました、、、
「こちらはFMハムスター」
此方の広島経済大学の学生だけで運営しているコミュニティFM放送局の話です!
元は中国放送というラジオテレビ局に居られ、定年後は大学の講師をされてました
(他にも放送機材関係の論文も出されていたとか、、)
ボクが昔、カメラやオーディオを趣味としていたのも影響を受けたのかも?
泊ちゃんも車が好きで、色々な車へ乗り継がれていましたが、
ホンダ(シビック?)の時かな~うちの田舎へ墓参りに来られている時
峠で車が動かなくなり(当然携帯TELなど無い時代で)通りすがりの車へ乗せて貰い
家のあるところで電話を借りて車屋さんへ電話したのだが、その対応が悪く
ホンダは二度と買わないと怒っていた記憶が有ります、、
My Favorite峠
その場所ですが、、ボクが初めて峠という処を意識した場所だったかも!?
前述の甲立駅へ行く途中にあるのですが、馬通(まどうし)峠という難所でした。
その名の通り、馬でしか通れないとか、
馬でも倒れるので名前がついた(馬倒し!がなまった)と云われていました🐴
親が話していましたねぇ~
大昔にこの峠をバスで通る時に乗客は皆降りてバスを押していたと、、
まさか木炭バスではなかったろうが🚌💦?
ネットで検索すると、
こんなのや、
こんなのが見つかりました👀
今では昔の綴ら折れの狭い登り道は無く二車線の楽ちんな道ですが、
当時の道はスバルのボクにとって、田舎へ帰る時に結構楽しめる道でした、、、爆
その峠好き?は以降も続いていたのか👉
ギャラリー
ボクは、あの頃の峠でワクワクしていた気持ちを今でも守っているのかな
(いや、交通法規を守れよ!😅)
細美田鶴枝、、オフクロ(笑)
学校で働き帰って家事をし学校の仕事を片付け、その後遅くまで本を書いてました✍
専門書にしてはよく売れて、増版も重ねていたかと📖
(ネットで高値も付いていましたね~)
定年後、講演には何度も呼ばれて色々と廻っていました🚗🚌🚅~
そういや韓国からもオファーがあったそうです(流石に断ったが)
「たまたまこの年に、私の長男が一年生に入学することになった。一人子で親に似て気が弱く、その上あまり健康体でもなかったので、親としての気苦労はひとしおであった」なんて書いてあったけど、、そう〜ボクは小児喘息だったのですよ💦
浜田省吾さんの『悲しみは雪のように』は、お母さんが倒れ意識不明の時を元に作られた歌ですが、回復し車椅子生活になりお姉さんが世話をされ何もしてあげられなく申し訳ないと思い「親孝行なことを何もしてない」と言うと「あんたは悪いことをして新聞に載ることもなく、ええ子よ」と言ってもらい救われたそうです。
実はボクも、オフクロにサ高住へ入ってもらい偶に覗いて一杯飲りながら(ここ重要🍻笑)話している時にまったく同じコトを言われました、、母親というのは同じなんだなぁ~~~😂
だいぶ以前のblogですが、、
何故か、ボクは裁判所に縁が有ったという話です(苦笑)👉
運命のルーレット廻して
昨年のクリスマスです、、、