
私のアルファ歴は、前車の156がスタートではありません。
今回は、My first AlfaであるアルフェッタGTV6の思い出について書いてみます。
今からもう25年位前1987年から1988年にかけて、仕事で1年半ほどの間米国のシアトルに駐在していたことがありました。
住んでいたアパートの近くにアルファとプジョーを扱うディーラーがあって、会社からの帰りなどにちょくちょく外から覗いていたのですが、そこに憧れのアルフェッタGTV6の中古車が3台位置いてありました。
GTV6は、以前にCGに掲載された記事を読んで以来ジウジアーロデザインの美しいクーペボディーにノックアウトされて一目惚れ状態だった車なので、通るたびに「イイな~」と眺めていたのですが、遂に我慢できなくなってある日勇気を出してディーラーを尋ねました。
営業さんに聞いてみると、2台は1万ドル以上して当方の予算に合わず、この赤いGTV6なら何とか買えそうということが分かりました。
正確には覚えていないのですが、つたない英語で値段交渉した結果7,000~8,000ドル位だったと思います。
5万マイル以上走っている車だったので、内外観共にそれなりのヤレはありましたが、割ときれいな車だったし、試乗した結果後述するような手強い所はありましたがエンジンの調子も良さそうだったし、このチャンスを逃すと一生GTV6オーナーにはなれないと思ったので、その場で「これください」と言ってしまいました。
これが私のGTV6の艶姿です。
今見てもカッコいい~~~。
エンジンルームや室内の写真が無かったのでネットから拾ってきた写真ですが、私のGTV6もこんな程度のヤレ具合でした。
アルフェッタGTV6は、ジウジアーロデザインの流麗なクーペボディーを架装したアルフェッタGTの1.8Lあるいは2Lエンジンを、アルファ6(セイ)セダンでデビューした2.5L V6 150馬力エンジンに強化したもので、V6エンジンのエアチャンバーをクリアするためにボンネットにパワーバルジが付けられています。
このV6エンジンが、それ以降156まで連綿と使い続けられたあの名器です。
アルフェッタシリーズは、50:50の重量配分を得るためにギアボックスとクラッチをデフの直前に配置したトランスアクスル、往年のグランプリカー譲りのドディオンアクスルリアサスペンション、バネ下重量軽減の為のインボードディスクブレーキ等々、先進的なシャーシー設計の車で、そのシャーシーは75やSZまで改良されて使い続けられたものです。但し、その当時はアルファの品質がどん底の時代で、しかも使用した鋼板の質が悪く防錆処理もいい加減だったのですぐ錆びるという大きな欠陥もあり、設計に製造品質が追いついていないというか、「イタ車はすぐ壊れる、腐る」という今でも多くの人が信じている悪評の原因になった時代の車でもあります。
写真ではきれいそうに見えますが、私の車もサイドシルのあたりには錆で塗装が浮いている所があり、見ないようにしていました(笑)。
またアルフェッタシリーズには、シフト操作を長いロッドを使ってリアにあるギアボックスまで延々と伝えるという構造上の問題からか、シフトフィーリングがグニョグニョで不確実という欠陥もありましたが、私の車はそれに加えて1、2速のシンクロがへたっていたので1、2速間の変速はダブルクラッチが必須でした。
またノンパワーのステアリングが超重ステだったので、MTを苦にしない私の奥さんもこの車だけは運転できませんでした。
どん底品質の時代のアルファだけあって、イタ車の洗礼も色々受けましたが、記憶に残っているだけでも一年半で3回も路上で立ち往生を経験しました。
① 駐車場に入れようとしたら、メイン電源ケーブルが断線して(そんなものが普通切れるか?)全ての電気がアウトになり立ち往生。
② レーニア山の展望駐車場で、突然原因不明の症状でエンジンがかからなくなり、周りの人に助けてもらって押し掛け。
③ フリーウェイ走行中に突然クラッチペダルが抜けて立ち往生、クラッチ交換。
予備のオイルや水と工具、ブースターケーブルはトランクの必需品でした。
米国は車検がないせいもあってか車の整備状況が悪く、毎日の通勤途上でも必ず1台や2台路肩でエンコしている車を見かけましたが(1回炎上している車も見ました(笑))、明日は我が身と思っているのか(笑)助け合い精神が旺盛で、路肩に停めてボンネットを開けてゴソゴソやっていると5分もしない内に必ず誰かが停まってくれて、一緒に原因究明してくれたり、近くの電話ボックスまで乗せて行ってくれたり、押し掛けしてくれたりするので、大変助かりました。
ディーラーのチーフメカがヒスパニック系の人だったので、我々にはスペイン語なのか英語なのかよく分からないような巻き舌の英語とこちらの日本訛りのブロークンイングリッシュでのやり取りも中々苦労が多かったですが、こうしたトラブルも今となっては懐かしい思い出です。
こういう性悪女でも、駄々をこねない時はシャープなハンドリングと官能的なエンジン、最高に美しいスタイルの素晴らしい車でした。
新婚ホヤホヤの奥さんも一緒に赴任していたので、休みのたびに二人で色んな所にドライブに行きました。
我々夫婦にとっても、新婚時代の思い出の車です。
今見ると、奥さんも私も若くて細い~~~(笑)
もともと3年位と言われて赴任したのですが、プロジェクトが中止になってしまい1年半で帰国することになり、急遽売却せざるを得なくなりました。
どうせなら大事にしてくれる人に嫁がせようということで、前にレストランの駐車場で突然近づいてきて名詞をくれた地元のアルファロメオオーナーズクラブの会長さんの所に電話して嫁ぎ先を探してもらった所、クラブ員のケネディーさんが名乗りをあげてくれてお嫁にもらってくれました。
彼の家に行ったら、良い感じに使い込んだジュリエッタ スパイダーがガレージに置いてあったので、多分幸せな余生を送らせてもらったことでしょう。
下の写真は、引渡しの日に新オーナーのケネディーさんと一緒に撮った写真です。
我々夫婦に一杯いろんな思い出をくれたアルフェッタGTV6、多分今となってはほとんどの車が朽ち果てていると思いますが、もし奇跡的にまだきれいな車が残っていたら、また乗ってみたいな~。
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Posted at
2013/08/30 17:28:55