
さて、ミニカーで辿るレーシングアルファの歴史第3弾は遂に本命登場、155がDTMで大暴れする1993年以降の話になる訳ですが、この時代はモンスターマシン155 V6 TIのDTMでの活躍と、より市販車に近いクラス2車両155 TSがBTCC等のツーリングカーレースで活躍する話が並行して進みますので、2回に分けてお話しすることにさせて頂き、先ずその1ではDTMでの戦いぶりをご紹介いたします。
今回はかなりの大作ですので、お時間のあるときにじっくりご覧下さい(笑)
なお、特記無い限りはミニカーのスケールは1/43です。
1993年シーズンからドイツ・ツーリングカー選手権(DTM=Deutsche Tourenwagen Meisterschaft)に導入された新レギュレーションの車両は、FIAのツーリングカー規定 クラス1(NA 2.5L)に準じ、それに独自の規定を加えたものですが、その主な内容をおさらいしてみると・・・・・。
① ベース車両は連続する1年間に2,500台以上生産された量産車
② エンジンは自然吸気2,500cc 6気筒以下で、ベース車両のエンジンとブロックの材質が同一でV型エンジンの場合はバンク角が同一であれば、あとは変更自由。レブリミッターもなし(アルファのV6 2.5Lは初年度でも420ps/11,800rpm!!)
③ エンジンの搭載位置はベース車両に準じるが、搭載方式に関してはバルクヘッドに手を加えなければ、後付けのサブフレームにエンジンを搭載しても可。
④ フロントサスは基本形式がベース車両と同一、リアサスはそのメーカーが生産している何れかの市販車と基本形式が同一であること(1996年から完全に自由)。
⑤ 4WDも可。但し最低重量は2WD が1,000kgに対して4WD は1,040kg。
⑥ トラクションコントロール、アクティブサス、ABSなどの電子デバイスも可。
⑦ イコールコンディション化のため、上位5位までの車両は次戦に15kg、12kg、9kg、6kg、3kgのハンディウェイトを積載(上限50kg)。6位以下でフィニッシュした場合は順位に応じてハンディウェイトが降ろされる。
という、簡単にいえば改造範囲が大変広いほとんど何でも有りの世界であり、ベースの市販車とは全くかけ離れたモンスターマシンでした。
1993年シーズン
アウディが公認部品の解釈をめぐって主催者と対立し1992年の途中で撤退、BMWも新型M3の公認が取れないことを理由に1992年で撤退、オペルは新型車Opel Calibra V6 4x4の開発遅れから参戦を延期(最終戦2戦のみ参戦)となり、1993年シーズンは前年度の覇者メルセデスと新参者アルファのガチンコ勝負となりました。
アルファの陣容は、アルファ・コルセ(Alfa Corse)からエースのニコラ・ラリーニ(Nicola Larini)とアレッサンドロ・ナニーニ(Alessandro Nannini)の2台、ドイツのシューベル(Schübel Engineering Racing Team)からクリスチャン・ダナー(Christian Danner)とジョルジュ・フランチア(Giorgio Francia)の2台の体制です。
下馬評では実績のあるメルセデスの圧勝と思われていましたが、ふたを開けてみるとデビュー戦のゾルダー(Zolder)はRound1がアルファの1-2フィニッシュ、Round2もアルファの1-2-3フィニッシュの快勝に終わり、サーキットに赤い衝撃が走りました。
メルセデスは慌ててマシンの改良を図りますが、フルスペック・クラス1マシンの155 V6 TIに対してメルセデスは4気筒の前年度マシン 190E 2.5-16 Evo2をクラス1にモディファイして使っているので不利は否めません。
メルセデスの必死の巻き返しも及ばず、メイクスタイトルは20戦中12勝を挙げたアルファが、ドライバーズタイトルも10勝を挙げたラリーニが獲得し、アルファはデビュー年にして完全勝利を遂げました。
1993年シーズンの最終的な成績の詳細は
こちらの通りです。
155 V6 TI DTM (1993)
1/43量産ミニカーの世界では、実際にDTMをやっていた時代に発売されたMinichampsの傑作が長年君臨していましたが、5年位前に日本のhpi racingが決定版を発売してくれました。
hpi racingの#8ラリーニ車です。
#7ナニーニ車(ドライバーズタイトル8位)とのツーショットです。
hpi racingは、ラリーニのスペアカー(#T8)なんていうマニアックなものまで出してくれました。
Eligorから、この年のアルファ・コルセのトランスポーターも発売されています。
1/18スケールの155 DTMマシンは、これもDTMが行われていた時代に発売されていたUT Modelsの製品が長年唯一のものでしたが、昨年hpi racingとAUTOartから93年仕様のラリーニ車とナニーニ車の決定版が発売されました。
特にAUTOartの製品はドアやボンネットがフル開閉するので、かなり精密に作られた内部構造を見ることが出来ますが、私は所有していないので、
こちらのryoreiさんの記事をご覧下さい。
1994年シーズン
前年度油断した為にアルファごときにまさかの不覚をとってしまった王者メルセデスは、悔しくて夜も眠れず(たぶん(笑))、万難を排して開発したフルスペック・クラス1マシンのMercedes C-Classを投入してきました。
迎え撃つアルファも、ドラッグの減少と低重心化のため全高を20mm下げ、エンジンの位置も1993年仕様よりも低くマシン中央寄りにマウントし、エンジン自体も小型・軽量化した新設計エンジンを開発、ABSの装着やウイング状のリアディフューザー採用による空力面のモディファイ等も行った94年仕様の155 V6 TIを投入し、連覇を狙います。
第3勢力のオペルもOpel Calibra V6 4x4でフル参戦してきたので、94年シーズンは三つ巴の激戦となりました。
最終的にアルファはメルセデスの9勝を上回る11勝を挙げましたが、ポイントでメルセデスの323ポイントに対し310ポイントとわずかに及ばず連覇を逃しました。
ドライバーズタイトルも、優勝回数ではラリーニとナニーニがそれぞれ4勝と最多でしたが、3勝ながら着実にポイントを重ねたメルセデスのクラウス・ルドウィック(Klaus Ludwig)が獲得し、ラリーニとナニーニは3位と4位に沈みました。
1994年シーズンの最終的な成績の詳細は
こちらの通りです。
こちらに、アルファがメルセデスを蹴散らしている1994年シーズンの動画も有ります。
155 V6 TI DTM (1994)
hpi racingからは94年仕様は発売されていないので、これはハンドメイドミニカーの雄BBRが作った#1ラリーニ車です。
#1ラリーニ車と#2ナニーニ車とのツーショットです。ナニーニ車の方は古いMinichamps製のミニカーです。
hpi racingからは、シューベルから参戦した#27ミハエル・バーテルス(Michael Barteis)車が発売されています。なお、イエガーマイスターがスポンサーのこの車は、93年仕様のマシンです。
94年以降の仕様の1/18スケールは、依然として古いUT Models製のものしか有りませんが、UTからは同じくシューベルから参戦した#18 クリス・ニッセン(Kris Nissen)車も発売されています。
細部のつくりは最新のミニカーに負けますが、プロポーションが良いので今でも充分観賞に耐えます。
1995年シーズン
1995年シーズンは、DTMに加えてこれまでDTMがドイツ国外で開催していたノンタイトル戦のイベント数を増やし、新たに国際ツーリングカー選手権(ITC=International Touringcar Championship)として並行して開催することになり、DTM 14レース(内1レースは事故で中止)、ITC 10レースが開催されました。
アルファは、レギュレーションの緩和を受けてセミオートマチックトランスミッションの採用とリアサスペンションのダブルウィッシュボーン化を行い、リアデファレンシャルギアを電子制御化したマシンを投入しましたが、この改良が裏目に出たのかこの年のアルファは不振で、DTMではメルセデスの8勝対してアルファは3勝、ITCでもメルセデスの8勝に対してアルファはわずか2勝に終わり、どちらもメイクスタイトル2位にはなりましたが連覇したメルセデスに完敗したシーズンとなりました。
ドライバーズタイトルの方も、ワークスのアルファ・コルセの二人はDTMでは未勝利、ITCでもラリーニの1勝のみに終わり下位に沈んでしまいました。
1995年シーズンのDTM、ITCの最終的な成績の詳細は
こちらと
こちらの通りです。
155 V6 TI DTM (1995)
95年仕様もhpi racing は発売していないので、古いMinichamps製の#7ナニーニ車です。
この年からマルティニがスポンサーになり、白地にマルティニストライプのカラーリングになりました。
同じくMinichamps製の#8ラリーニ車と#7ナニーニ車のツーショットです。
これは本戦仕様ではなく、プレゼンテーション仕様を再現したものです。
Eligorから、1995~96年シーズンに使われたアルファ・コルセのトランスポーターも発売されています。
1/18ではUTから95年仕様も発売されています。
#7ナニーニ車とナニーニのフィギュア(Endurance製)です。
1995年の覇者ベルント・シュナイダー(Bernd Schneider)がドライブしたアルファの天敵Mercedes C-Classの1/18ミニカー(UT製)とシュナイダーのフィギュアです。
1996年シーズン
この年からDTMが廃止されてITCに1本化され、全26戦が開催されました。この内最終第25戦と26戦は鈴鹿で開催されました。
96年仕様の155 V6 TIは、レギュレーションの緩和を受けて、サスペンションがフロント、リアともダブルウィッシュボーン化され、エンジンもシーズン途中から60度V6エンジンからマシンの重心を下げる目的で90度V6エンジンに変更。また、マスの集中を図るためオイルタンクの位置をトランクルームからリアシート部分に移設させ、マシン自体の全高も1995年仕様の1,355mmから1,280mmに下げられました。
その為、前年度までのマシンより低く平べったい印象の外観をしています。
空力面ではアンダーフロアのアップスイープがフロントシート付近から始まるデザインとなり完全なグラウンド・エフェクト・カーになりました。またラジエーターの排気部に可動式のシャッターを設け、これをレース中に開閉することでダウンフォースの量を調節できるようになっています。
この年は各車の実力が拮抗した大混戦で、最終的にアルファが10勝、オペルが9勝、メルセデスが7勝となり、アルファは93年、94年に引き続き三度最多優勝回数を記録しましたが、僅か9ポイント差で惜しくもメイクスタイトルはオペルにさらわれてしまいました。
ドライバーズタイトルも、ナニーニが最多の7勝を挙げるもチャンプの座はオペルのマニュエル・ロイター(Manuel Reuter)にさらわれ3位に留まりました。
1996年シーズンの最終的な成績の詳細は
こちらの通りです。
155 V6 TI DTM (1996)
hpi racingから、最終戦鈴鹿仕様の4台が発売されています。
Alfa Corse/Martini Racingの#5ラリーニ車です。
#5ラリーニ車と#6ナニーニ車のツーショットです。
Alfa Corse/JASから参戦した、#9ステファノ・モデナ(Stefano Modena)車の通称赤マルティニ
Alfa Corse/TV Spielfilmから参戦した、#14 ジャンカルロ・フィジケラ(Giancarlo Fisichella)車
また同じくhpi racingから、Alfa Corse/JASの#10 ミハエル・バルテルス(Michael Bartels)がドライブしたイエガーマイスターカラーのマシンも発売されています。
1/18ミニカーでは1996年仕様のアルファは発売されていませんが、代わりにマニュエル・ロイターのチャンプマシンOpel Calibra V6 4x4(UT製)をご披露します。
おまけとして、1982年のF1チャンプ ケケ・ロスベルク(Keke Rosberg)のレーシングチームOpel Team Rosbergのトランスポーターの1/43モデルもあります。
各社間の競争激化とあまりに先鋭化したマシンによりDTM/ITCマシンの開発費は膨大なものとなり、それに耐えられなくなったアルファとオペルが1997年から撤退を表明したため、4年間に渡る狂気のシリーズは幕を閉じることとなりました。
デビューの印象があまりにも鮮烈だったため、DTMというと常にアルファが席巻していたような印象を持ちますが、4年間の結果を俯瞰して見ると、タイトルを取ったのは初年度だけで残りの3年間は2位に甘んじています。
しかし、不振だった95年シーズンを除いては1位との差はわずかであり、ハンディウェイトに代表されるような突出した車を作らないようにする為のレギュレーション上の配慮やライバル同士の熾烈な開発競争のおかげで、実力が拮抗した激しい戦いだったといえます。
優勝回数からいえば、最多優勝回数は95年シーズンを除いてすべてアルファであり、通算の勝ち星や勝率も89戦38勝(勝率42.7%)とトップです。
速さでは一歩リードするアルファに対して、着実にポイントを積み重ねる安定性のドイツ勢といった感じですが、両者の性格をよく反映してますね(笑)
DTMでのアルファの活躍は、地に落ちかけていたアルファのブランドイメージ向上に大いに貢献しました。
特にフィアット買収後のFFアルファしか知らない世代では、アルファのイメージというと、サーキットでメルセデスを蹴散らす赤い稲妻155 V6 TI DTMのスポーティーなイメージなのではないでしょうか?
市販車としての155はアルファが期待したほどの成功は収めることが出来ませんでしたが、もし155 DTMの活躍がなかったら、その後の156や147のヒットは無かったかもしれません。
アルファにとってアルフィスタにとって永遠に忘れられない車です。